日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎咄嗟の時に有効な言葉

◎咄嗟の時に有効な言葉
 困難に直面した時、心が怯み、折れそうになってしまうことがあります。
 そう言う時のおまじないとして、最も効き目のあるのは、般若心経の最後の部分です。

 羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。
(ぎゃあていぎゃあてい はらぎゃあてい はらそうぎゃあてい ぼおじいそわか)
 意訳は「とにかく前に進むこと」

 般若心経は「生と死の境界を越え、霊魂がかたちを変えて循環する」ことを説くもの。
 自我との関わりで言えば、生者は肉体の中に魂(自我を持つ霊)が宿った状態、例えば「まんじゅう」のようなもので、死ぬと肉体(皮)が滅ぶから、餡子だけの存在になります。これが幽霊。
 この餡子をさらにすり潰すと、液体のようになり、かつての「まんじゅう」のかたちは無くなってしまいます。
 餡子を鍋の中に戻した状態になるが、これが霊界の霊で、霊に自我はありません。
 簡単に言うと、「自我(主語)の無い世界」が霊界で、これが「空」の本当の意味です。
 「色即是空」とは、「かたちあるものはむなしい」とか「実体が無い」みたいなことを言っているのではなく、「霊魂は循環する」という意味。
 この場合、自我が消えたり出来たりするので、「輪廻」とは違います。

 自我にとらわれ、立ち止まり、動けなくなってしまうことがありますが、その時には「とにかく前に進もう」と思うことが大切です。
 死んで霊界に入ると、その人が生まれてから死ぬまでの経験や感情の統一性が失われてしまうのですが、個々の要素自体が無くなることはありません。鍋に戻れば、また新しい「まんじゅう」の素材として利用できます。
 新しい「まんじゅう」になるためには、とにかく前に進むしかない。とまあ、そんな意味です。

 鎌北湖から帰った後は、睡眠中に「死者たちが執着しているもの」を見せられているので、その説得のために延々と唱えさせられています。
 「般若心経」は魔除けで使われますので、日頃、充分に理解し練習していれば、これを使えます。
 しかし、目の前にアレに出られた時や、夢に出て来た時は、日頃はすらすら暗証出来るこの短い経文が、何故か出て来ません。(たぶん、抵抗されるから。)
 ただし、全体は説明文で不要なので、この一行があればこと足ります。

 死んだらどうなるかは、それを意識するしないに関わらず、実は万人が知っていますので、「立ち止まっていないで、前に進めよな」が励ましの言葉になるわけです。
 生きている者も、仕事の困難や病気が原因で動きが取れなくなることがあるわけですが、そういう時に「自分を励ます」言葉にもなるわけです。

 ちなみに、今朝方に悩まされたのは、女性が人生をはかなんで、ロフトにロープを掛ける場面です。
 テーブルに上って、ロフトの手摺りにロープを結び付ける。それを延々と見させられるので、閉口しました。
 幽霊の「悪影響」とはこういう性質のもので、怪談やホラー映画とはまるで違います。

 「羯諦ー」は真言(まじない)と捉えられていますが、実はただの掛け声です。
 よって本来、宗派はありません。実際に、神道修験道でも使います。

 もちろん、言葉自体に力はありません。
 「言葉はただの言葉」で、それを理解した時に初めて意味を持ちます。
 「魔法の杖」ではないのです。