日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎霊魂の循環について

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

:

◎霊魂の循環について
 ひとは霊界(海)より生まれ、霊界に戻ります。
 各段階で何が起きるのかを図示してみました。

(0)霊界=原初形態 
 霊界は霊素で出来ています。
 霊素とは、ひとが人生の中で経験した個々の感情経験を指します。
 これは、「母に抱かれた時の安心感」や「親しい人が去った時の悲しさ」など、喜怒哀楽の要素(または性質)のことです。
 霊界は、まさに「海」のごとく、数え切れないほどの霊素で溢れています。

(1)ひとの誕生
 霊界より、ひと雫の霊素を柄杓で掬い取り、分離させると、ひとになります。
 この柄杓にあたるのが肉体です。
 肉体が殻となり、他と隔ててくれるので、内外の違いが生まれ、他の霊素と混じり合うことがほとんど無くなります。

(2)肉体の成長と自我の生成 
 ひとが生まれ、次第に成長することで、内部に自我(自意識)が生じます。
 これは五感や喜怒哀楽の経験によるものですので、基本的に自我は肉体と共にあります。

(3)自我の再形成
 霊界における霊素は「かつての人生」の断片的な感情体験を基にしています。
 時々、幼児が「前の人生で起きたこと」を話すのは、そのことによります。
 しかし、ひととして新しい感情経験を積み重ね、自我を形成して行くと、かつての記憶が薄れ、新たな人格が生まれます。

(4)肉体の死
 加齢や病気により、ひとの肉体は必ず死を迎えます。
 肉体が死ぬと、自我を包んできた殻がなくなるのと共に、頭脳を失います。
 しかし、肉体が滅んでも、暫くの間は自我がそのまま残ります。
 自我を持つ霊的存在のことを、「幽霊」と呼びます。
 これは肉体を持たず、自他を隔てることが出来なくなっているおぼろげな存在のこと。
 便宜的にこの状態のことを幽界とします。霊界、幽界、現世界などと区分して言い表しますが、境界があるわけではありません。性質の違いを区分しているのです。

(5)死後の第一段階 = 幽界
 肉体が滅んでも、暫くの間は自我が残存します。
 場合によっては、長い間それが続くことがあります。
 自我を持ったままの霊的存在のことを幽霊(幽界の霊)と呼びます。
 
(6)死後の第二段階 =自我の消散と寛解
 自我を形成してきたのは肉体なので、これが消滅すると、自我を保持することが難しくなります。
 このため、時間の経過と共に、自我は自然消滅していきます(消散)。
 生前の執着心により、自我を強化するものもおり、比較的長期に渡り、存続させる場合もあります。この多くは悪心によるものなので、長く残って居るものは悪霊のことが大半です。
 自ら執着心を解き、自我を解放して霊界に還流することを、仏教では「成仏」「解脱」などと表現します。ここでは、それを「寛解」と呼びます。「消散」と「寛解」は自我が崩れるという点で似ていますが、「自然消滅」と「自我の解放」という違いがあります。

(7)死後の第三段階 = 霊界
 一個の「ひと」であった時の自我・人格が亡くなると、個々の霊素に分解されて、他と交じり合います。
 霊界はひと言で言うと「自我の無い世界」で、喜怒哀楽の個々の性質(要素)はありますが、それを統制する紐帯を持ちません。
 あるいは、霊界は「主語を持たない世界」と言い換えることも出来ます。
 現世界で起きる振る舞いには、必ず主語が付きます。
 「タナカタロウは葬式の時に、かつての父の姿を思い出し、涙に暮れた」
 誰がそれをしたのかという状況があるわけですが、霊界には「誰それが」に当たるものがありません。
 「かつての父を思い出した時の悲しく寂しい気持ち」という性質だけがあります。
 「魂」とは「肉体と自我を持つ霊」のことを指しますので、霊界に入ることの意味は、「肉体と自我から解き放たれること」ということになります(魂の寛解)。

 備考 1)幽霊は思考能力を持たない感情だけの存在。感情の揺れに共鳴することはあるが、原則として他を認識することが出来ない。幽霊は自我を強化するために、複数が同化(ひとつになる)することがあるが、けして語り合ったりはしない。また、霊界には自我・人格そのものが存在しない。となると、「死後の存在はあるが、社会はどこにもない」ということになる。
 神々はいないし、霊団もない。

 備考 2)いわゆる「神」は多く「人格を持つもの」として語られるが、霊界には自我・人格は無いので、そこに神はいない。(強いて言えば、霊界全体が神だが、意思を持たない。)
 自我・人格を持つのは幽霊までで、もし「自分は神だ」と自称するのであれば、それは幽界の存在だということ。すなわち、悪霊と何ら変わりない。

 備考 3)霊界には自我・人格は無い。となると、「善霊」の存在は疑わしい。「指導霊」「守護霊」はただの願望だろう。自我・人格を持つ「霊」は幽界にしかいない。すなわち幽霊で、なんらかの執着心によって、自我を留めている存在だと言うこと。ならば、けして「善」ではなく、悪霊に近い。
 「お祖父さんが見守ってくれる」ことはない。もし身近にいれば、それは悪霊。