日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎あの時、死んでいた筈では

◎あの時、死んでいた筈では
 何度も書きますが、4年前の心臓の手術の後に、経過があまり良くなくて、しばらく寝たきりでした。
 ひと月くらいして、ようやく体を起こせるようになったのですが、日がな寝たり起きたりです。
 そんな中、夕食後、ベッドに半身を起こして座っていると、突然、カ-テンが開き、男2人が顔を出しました。

 その時の男たちの表情は、忘れろと言っても無理。
 一人は茶色のジャケットを着た50台の男。もう一人は革ジャンを着て、ハンチング帽みたいなのを被った少し年下の男です。
 男たちは、一瞥で「これはこの世の者ではない」と分かるような風貌をしていました。
 生きている人間にはありえない、「凄まじさ」のようなものを全身から発しています。
 無表情で、血の通った人間にある「暖かさ」が微塵も感じられません。
 前に、小川に二つの目だけが出ている画像を見せた事があると思いますが、まさにあれと同じです。

 私は「これはいわゆる『お迎え』というヤツだ。そうに違いない」と確信しました。
 親戚の金太郎さんが癌に罹った時に、切除手術が成功し、一旦家に戻ったのですが、ある日、「家の中に見知らぬ男が入って来た」と言います(本人談)。
 その時、その男が自分を連れ去ろうとするので、金太郎さんは「俺はまだ行けない。もう少し待ってくれ」と叫んだそう。その時の男の表情が、やはり何とも凄まじいものだったということです。
 金太郎さんは最初の「お迎え」を拒否したのですが、それから2年くらいは生きられたのです。

 その時の私も、やはり男たちに向かって叫びました。
 「この野郎。そうは行くか」
 (ここは後で聞いたら、夢でも何でもなく、私が実際に叫んでいたとのことです。)
 殴りかかろうと思うのですが、しかし、体がまったく動きません。
 そこで、男たちが私の方に近寄ろうとしました。

 「ああ。不味い」
 私がそう思った瞬間、男たちの動きが止まりました。
 手を空中に上げて、何かを触っているようなしぐさです。
 壁ですね。
 私と男たちの間隔はわずか1メートルちょっとでしたが、その間に、何か水族館で見るようなアクリル製の壁みたいなものがあり、そこから中に入って来られないのです。
 すると、最初の男が小さく舌打ちのようなものを放つと、二人は去って行きました。

 この時の私は、本当に「戦慄」というものを感じました。
 何故なら、男たちは正面から近寄ろうとしたので、そこに壁があったのですが、横のベッドサイドに回ると何も無かったように思うからです。
 「脇が開いていることに気が付かれたらアウトだったよな」
 思い出す度に冷や汗が出ます。

 改めて思い返すと、「自分は本来、あの時に死んでいる筈ではなかったのか」と感じます。
 今は、頻繁に「あの世」系の異変を感じ、ただ感じるだけでなく証拠らしきものも残るのですが、それも「本来は死んでいた」ことと無関係ではないと思います。
 ま、30歳くらいの時に一度は心臓が止まっていますので、あの世の境界線を跨いだり戻ったり、を繰り返しているのかもしれません。
 
 あれを一度目にしてしまうと、それまでの人生観は総て逆転してしまいます。それが良いことなのか悪いことなのかは、よく分かりせんが、なるべくなら「知らずに済ます」方がのんきに生きられると思います。
 一度始まると、もはや引き返すことが出来ず、どんどんおかしなことが起きるようになってしまいます。
 最も嫌なことは、「あの世の住人の側から、私は見えるらしい」ということです。