日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎扉を叩く音 (続)

◎扉を叩く音 (続)
 毎年、「秋から冬にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の続きです。

 十月二十四日午前十時半の記録。
 所用で郵便局に行った後、帰宅して居間に入った。
 すると、居間の中央に「女」がしゃがんでいた。
 髪型や服は、家人そっくり。俯いていたので顔が見えなかったが、たぶん、家人に似ている。
 その「女」はコンマ2、3秒でパッと消えた。
 「女」はもちろん、この世の者ではない。

 「やっぱりいたかあ」
 最近は、何となく、いつも「女」が傍にいるような気がする。
 この「女」は、かなり前から私に付きまとっている。

 先日、所用があったので、知人の女性に会った。
 車で出掛け、色々と打ち合わせをした後、お礼に食事をご馳走した。
 そのことが「女」の勘に触ったらしい。
 食事を終え、車で高速のインターに向かうと、その直前でカーナビが「曲がれ」と指示した。
 K川県まで出掛けていたので、不案内でもあったから、カーナビに従うと、車は細くて曲りくねった小道に入って行く。おまけに最後は行き止まりだ。

 「こりゃ、例によってアレが始まったのか」
 どういうわけか、女性と会うと、それがどういう関係でも、この「女」は腹を立てるらしい。
 仕事上の相手でも、単なる知人でも同じだ。
 カーナビを操作して、あちこちに私を振り回して、うさを晴らす。
 たまに「女」の姿を見ることもあるが、外見は家人とそっくりなので、最初のうちは「家人の生霊」かと思っていた。
 嫉妬のあまり、ダンナに取り憑いているわけだ。
 実際、家人はかなり嫉妬深い方だ。

 ところが、家人と一緒に行動する時も、同じことが起きることがある。
 カーナビがまともに作動せず、別の場所に連れて行く。
 ピンポイントで指示するから、誤作動のようには思えない。
 おまけに、行った先が行き止まりだったり、延々と同じところを回らされることもある。
 墓地や火葬場のこともある。
 たぶん、相当、腹を立てた時がこれだ。
 してみると、生霊ではなく、やっぱり死霊のほうなのだろう。
 自他共に認めることだが、私は「死んでいる女」にはよくもてる。
 けして嬉しくは無いのだが、頻繁に「私のことを見て」と言わんばかりに画像に残る。

 さすがに「カーナビぐるぐる」には慣れており、この時は一旦、カーナビを切り、幹線道路に出て、インターの掲示を確認して、それで中に入った。

 「霊能者」とか「霊感の強い人」が飛びつくネタだが、こういうことが起きたからと言って、だからどうということはない。
 普通の人だって、周囲には幾人もの霊が立っているし、口々にわやわやと何か話している。
 その状況とまったく同じだが、ほとんどの人は耳を貸さないし、目を伏せている。
 目と耳を閉じている者には、何も見えないし、聞こえないのだ。

 私のように、霊感は無くとも、「聞いてみよう」「見てみよう」と思う者がいれば、相手は大喜びで出て来るのだろう。
 もしこれが「憑依」とか「祟り」とかいった、おどろおどろしい悪縁なら、とっくの昔に私は呪い殺されているはずだ。しかし、もう何十年も同じ状態のまま。

 ま、私がいなくなれば、死者の存在を知らしめ、言葉を伝える者がいなくなる。
 「守護霊と話をした」みたいな作り話を語る者だけになってしまう。
 この辺が真相に近いのかも知れん。

 逆さまに言えば、「多少なりとも使えるところがあるから」、私のことを「生かさず殺さず」の状態のままにして置くのかも知れないが、とりあえず、私はまだ立って歩いている。
 さらにそこに「幾度か心臓が止まったことがあるにも関わらず」と付け加えておく。

 ちなみに、誰もいないはずの場所に「のそっと」いられると、さすがに気色悪い。
 いくら見慣れても、その気色悪さだけは変わらない。
 もはや「玄関のノックの音」では済まない次元に突入しているようだ。