日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎実は「丸儲け」だった(369)

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◎実は「丸儲け」だった(369)
 このところ、体調が著しく悪く、40、50分ほど机に座ると、ヘナヘナと崩れ落ちる。そして、そこから3時間は横になっている始末だ。毎日がその繰り返しで、PCに触れるのは2時間程度が精一杯。
 新聞の連載が中断したままだが、この状態ではいかんともし難い。まずは少し、良くなって貰わないと何も出来ない。
 ま、もはや医療の手は及ばないことが分かっているので、頼みの綱は、持ち前の第六感だろう。
 そこで、無理を押して神社に参拝することにした。
 私は「自分の寿命みたいなものは既に終わっている」と思う。かつて心臓が止まった経験を持つことと、既に今生の寿命が終わっていることで、あの世との接点が生じているのではないか。
 「それなら、俺は死者と実質的に変わりない。つまりは、今はオマケ、お釣りの時間だろう」
 ということは、この先がどれだけ残っていようと、それは総て「儲け」の部分だ。
 「なあんだ。それなら悲観することはないや。俺はオマケを楽しめばよいだけだ」
 ものは考えようで、ひと度そう考えると、何だか得したような気持ちになって来る。
 第一、今の私は、たぶん、他の者が経験したことの無いことを経験出来ている。

 「それもトラが導いてくれたからだな」
 何年か前に、トラが私を先導して、神殿まで導いてくれなかったら、私は絶望のうちに死んでいたと思う。
 そこで、今日はトラにお礼をすることにした。
 百グラム2千円の生本マグロを買ってあったので、これを炙り、バーサン猫でも食べられるように、手で小さく千切った。
 家人がやって来て、それに目を留め、「あ。彼女に会いに行くところだ」と言う。
 ダンナが猫に会いに行く分には、やはり腹が立たないらしい。
 それもその筈だが、しかし、愛人よりも、たぶん、その猫の方が強力だと思う。

 神殿の前に着くと、さすが休日で、参拝客がかなりいた。
 そこで、客足が落ち着くまで、社務所の前でしばし境内を眺めた。
 15分位すると、ようやく人がいなくなった。
 遠くの方からベビーカーの男性が近づいて来るが、神殿に上がって来るまで2、3分は掛かる。
 ここでふと思いつき、祈願してみた。神に対して、ではなく、周囲にいるであろう、霊たちに対してだ。
「私には皆さんを救うことは出来ないが、霊界に進んで行けるように、心を込めてご供養をします。それと、心ある者にこの事実を伝えることもする」
 問題はその後だ。
「だから、今日はきちんと姿を現して見せて欲しいのです」
 通常は、「写ってくれ」と願うと、逆に写らなくなる。
 「撮ろう」とする意思があると、概ね何も写らない。たぶん、その「意思」が邪魔をするのだろうと思う。
 このため、「スポット」に撮影器具を持参して、何かの姿を捉えようとしても、ほとんどの場合は写らない。しかも、撮影の意図が面白半分からだった場合、相手は腹を立て、悪意を返して来ることがある。
 必要なのは「誠意」で、これは生きた人間に対するのと変わりない。
 ここで神殿の正面に立ち、2枚ほど連写した。

 駐車場で画像を開いたが、何も無さそう。
 「それはそれで安心できるよな」
 あの世との交流は、まったく無い方が穏やかに暮せる。
 この日は曇りだし、日光が不足しているから、写り難い環境でもあった。

 しかし、帰宅して、画像を開くと、2枚目に、これまでに無いくらい鮮明に写っていた。
 神殿前には、私の他に人は一人もいなかったのに、ざわざわと人影が写っている。
 鮮明すぎると、まるで実際にそこに人がいて、それが写っていたかのようだ。
 帽子を被った男性は、少し前に参拝に訪れた人に似ていたが、画像の方には実物には無い鬚があった。
 私の右の手元には、すぐ後ろに女性の顔が重なっている。
 「ああ、いつも俺の後ろに寄り添っている人だ」と納得した。
 いつも写るから、直ちにそれと分かる。
 私が女性とデートすると、何故かあちこちのドアが開かなくなるが、たぶん、この女性がやっているのだろうと実感した。

 この後、私に残された時間でやるべきことは、幽界の住人が穏やかに霊界に向かう手助けをすることと、生きている人たちにきちんと事実を伝えることだろう。
 もはや、これという時には、霊を出して見せられるところまで到達して来ている。
 まだ環境条件(TPO)に左右される部分があるわけだが、いずれ、「いつでも出して見せられる」段階が来ると思う。

 この先は総て「儲けのうち」だということを発見したら、精神状態がもの凄く良くなった。もちろん、体調は寝たり起きたりのままなのだが、気分は悪くない。

 追記)向かって右側の人二人が、自分の額に手を当てているように見えます。
 たぶん、突然、フラッシュが焚かれたので、それがガラスに反射してパッと光った。
 そのせいで、眩しいと思ったので、咄嗟に目の前に手をやったのではないかと思います。
 やはり、「通り道」に立っていたようで、少し迷惑を掛けたかもしれません。
 でも、これは階段下にある建物の屋根が写ったのかもしれません。ま、建物はひとつだけですが。

 恐縮ですが、その場にいない者に四の五の言われたり、拡散を避けるために、画質は大幅に落としてあります。実際には、私の胸元の女性は、髪の毛の筋まで見えています。

 左手の2人はどなたが見ても見えると思います。
現実にはそこに人はおらず、2人は周囲を見回しているようですが、その方向には何もありません。
「自分はどこにいるのか」と思っているのです。

 かなり鮮明なので、この画像だけを見た方の中には「そこにいた人がガラスに映っていただけ」と思う人が必ずいると思いますね。その場にいて、直に確認した当人でも、「それじゃないか」と思うし、「そうあって欲しい」と思います。こういうのは、「あの世」がどれくらい近いかを示す指標にもなるので、もしも背景が映っただけなら、「この世」の方が近いという理屈になります。
 ま、周りに誰もいなくなる時まで待って撮影したので、言い逃れが出来ません。