日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎謎が解ける (「光り玉の見え方」の続き)

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◎謎が解ける (「光り玉の見え方」の続き)
 今に繋がる分岐点が、数年前の御堂観音です。
 近くの国道を通っている時に、「寄っていくと良い」という声が聞こえ、寄り道をして参拝しました。
 その結果、脾臓・胆嚢の筋膜腫が治ったことは、既に幾度か書きました。

 もちろん、そういう「ご利益」をくれるために、声を掛けてきたわけではありません。
 恐らく、この光り玉を見せるためだったと、今は分かります。
 ここは背の高い木々が茂っており、なかなか日が差さない場所です。また、階段を上ると、ちょうどお焼香場の屋根の日陰になります。
 トラの周りの光り玉と同じ色のが写っていますが、ファインダーを下に向けても見えていましたので、これも光り玉だろうと思います。

 これらはこの場所に由来するものではなく、私の回りを回っているものではないかと思います。
 この2分後くらいに、境内の外に立つ女の姿が写るのですが、他の画像での同様のケースと同じく、私のことを見ていました。
 正確には「私」ではなく、「光り玉」を見ていたのだろうと思います。

 これ以後、色んな所で具体的なものを目にするわけですが、私が「霊場を訪れていた」のではなく、私自身が「霊場だった」ということでしょう。相手の立場からすると、光り玉が見えるので、寄って来る訳です。
 この時に始まったのではなく、それ以前からそうだったが、それまでは気付かなかっただけです。
 
 神社で猫のトラと最初に会った時に、トラは鳥居の下に座っていたのですが、私を見ると、前に立って、神殿下まで道案内をしました。
 トラは最初から光り玉を見ていたのです。
 トラは神殿の中には絶対に上がって来ないのですが、そこが通り道で、霊がわんさかいることを知っているのだろうと思います。

 総ての謎が解けたので、ようやく現世に復帰します(笑)。
 体調は相変わらずですが、今日、明日、明後日には死なないと思いますね。来月はわかりませんが、人生は「水蒸気が空で雨粒となり、地面に落ちるまでの間の一瞬の夢」なので、「そんなもんだ」と思いなすことです。
 死んで肉体が消滅しても終わりではなく、自我(人格)を解放することで、また別の生命に生まれ変わることが出来ます。
 歩みを止めることなく、前に進め。
 すなわち、それが「ぎゃあてい、ぎゃあてい・・・」ということの意味です。

 ちなみに、宗教を勧誘したり、霊能者を自称したり、現世利益を得るための卜占を言ったりはしませんので、念のため。
 私は生きている者にはまったく興味がありません。