◎「希望」は生きてゆくための糧
今朝、病棟に行くと、久し振りに「あの高齢男性」に会いました。
あの男性とは、「体から死期臭をバンバン放っていた」男性です。
思わず声を掛けました。
「お戻りになられ、良かったですね」
まさか戻って来るとは・・・。
通常、あの匂いを放つようになったら、ひと月くらいの間に死んでしまいます。
この人は、そうならなかった初めてのケースです。
せっかくなので、あれこれと世間話をしました。
昼食に行くと、その男性がちょうど帰るところでした。
私の顔を見ると、丁寧に2度挨拶をしてくれました。
「今まで一度も挨拶を返してくれたことが無かったのに」
入院病棟に移る2年くらい前から顔を合わせていたのですが、私が挨拶しても、この人はいつも無言で通り過ぎていたのです。
無視していたのではなく、自分のことで精一杯だったのだろうと思います。私も時々、そういう時がありますので、よく分かります。
他人の言葉が耳に入りません。心中は暗闇で一杯です。
しかし、「良くなるかも」という思いは、人の心を変えます。いつの間にか、顔が上を向くようになっています。
「あの状態から回復するとは・・・。ということは、俺だってまだまだ捨てたもんじゃない」
それなら前を向かないとね。
もし全能の神様がいて、人間の寿命を総て知っていたとします。長生きする人もいれば、若死にする人もいる。
健康で暮らしてきたのに、ある日突然亡くなる人もいます。
「それなら、予め死期を教えたほうが、時間を有効に使えるのではないか」
「あと1年」と知れば、その間にやれること、やって置きたいことをサクサクと進めるでしょう。
でも、それとは逆に、萎縮して何も出来なくなる人もいそうです。あるいは、「どうせ死ぬのだから」とやりたい放題を尽くす人も出そう。
「なるほど。そんなことにならないように、人に寿命を教えないわけだ」
「明日がある」と思えば前向きになれます。「きっとよくなる」「よくしよう」と考えますね。
その辺は上手く出来ています。
全能の神様はいないと思いますが、しかし、結論は変わりません。
「希望」があるから、ひとは堅実に生きられます。
今日は、病棟から救急搬送された人がいたのですが、それは「ガラモンさん」でした。
(外見が「ガラモン」に似ているので、私が勝手に心の中で呼んでいる愛称です。)
総合病院なのに、別の病院に搬送する理由はひとつ。
「そこが循環器の専門病院だから」で、ガラモンさんは治療中に心不全を発症したわけです。
そう言えば、このところ、「ガラモンさん」は険しい表情をしていましたが、伏線があったわけです。
「ガラモンさん」はもはや数少ない先輩患者の一人で、私が来た時から病棟にいます。
何とか病棟に戻って来られるようなら良いのですが。
「ガラモンさん」が帰ったら、少し話をしてみようと思います。