日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎あとは実証(372)

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◎あとは実証(372)
 死ぬまでに出来る限り、「あの世」が存在することを実証しておくことにしました。
 幸いかどうかは別として、素材は身の回りにふんだんにあります。
 外に出しているのは一部に過ぎないわけです。

 今日はどうにも背後にぴったりと付かれているので、とりあえず神社に行くことにしました。
 ちなみに女で40歳くらいだと思います。
 今は常に死者の存在を感じ、「見られている」という意識があります。
 すなわち、「程なく死ぬ人」に現れる出来事の大半が起きているわけですが、果たしてここから踏み止まれるものなのかどうか。

 体調が悪く、現状では「片道20分程度内で、階段がほとんど無い」という条件がつきますので、結局、いつもの神社に参拝しました。
 ちょうど3時頃に着くだろうし、良い頃合です。
 自分なりに見出した作法に従い、参拝しました。

 この日の目的はふたつのうちいずれかです。
 ひとつ目は、背後につかれた時のザワザワ感を取り除く手立てを見つけること。
 ふたつ目は、まったく逆に、あの世の住人の姿を捉えるTPOを確立すること。
 そのどちらでも構いません。
 できれば前者で、普通の人と同じ暮らしになれば、結構な話です。

 左側通って神殿に向かい、周囲に人がいなくなるのを待って祈願しました。
 神殿前を出ようとした時に思い出したのですが、帰路に撮影しても「人影」が写っていることが時々あります。
 「それなら、2度3度と回って礼拝することだ」
 田舎では「回し念仏」があり、念仏を幾度(確か百八周)も唱えるご供養があります。それと同じ。
 そこで神殿前を大きく時計回りに回り、2度祈願して、写真を撮りました。

 階段下に下りるとトラが待っています。
 鰹を持参していますので、それを与えます。
 私もいまやヨレヨレですが、コイツもそうで、燻製を齧るのが大変そう。

 駐車場に戻ると、いくつか発見があり、かなりスッキリしましたので、感謝しながら帰宅の途につきました。
 どうやら、あと幾らか余命が貰えそう。
 もちろん、期待です。
 それはそれで現世的なやっかいごとが始まるわけですが、十年ぶりに「頑張ってみっかな」と思いました。
 ちなみに、長患いでは「頑張ってはダメ」です。頑張れるのは「半年、一年、せいぜい二年」と言い、それを越して苦しむと、反動で気力ががたっと落ちます。
 長期療養の時は、「柳に風」をイメージすると、案外耐えられます。
 この辺の機微が分からず、長患いの患者に「頑張ってね」と声を掛けると、「コイツは何も知らないいのだ」と思われてしまいます。

 でも、「良くなるかもしれない」という思いが生まれると、ひとは頑張れるようになりますね。