◎「広田さくら」には強い敵が必要だ
1月から2月は一切何も出来ず、寝たり起きたり。起きてPCに向かっても、ブログやSNSに十分ほどテキトーな書き込みをした時点で、ヘナヘナと崩れ落ちてしまう。
ほとんど眠れないせいで、体にまったく力が入らないし、手足の感覚があまりない。ドラマで「アル中」の患者の手先がぶるぶると震える場面があるが、まさかあれと同じことが自分に起きるとは、本当に恐れ入った。
仕方なく横になってユーチューブを観た。
アニマル番組や映画、そして格闘技まで、まんべんなく開いてみる。延々とハンセンのラリアットを何百発も観たりするのだが、それが来る日も来る日も続く。
そんな苦境の中で、唯一、心を明るくしてくれたのは、「広田さくら」選手のプロレスだ。
当方が全日や全女の試合を会場まで観に行ったのは90年代までだったから、正直、その後のプロレスについては最近までよく知らなかった。
ユーチューブのお陰で、今は観られるわけだが、2000年台前半の若手の頃の広田選手は、幾度見直しても本当に笑える。
当時の広田選手はまだごく若手で、体がひと回り他の選手より小さい。技もどちらかと言えばヘナヘナで、強烈な打撃も持っていなかった。
そういう状況で、広田選手が考え出したのが、「笑いを取る」路線だ。
ひと言で表現すれば、マジック界で言うマギー司郎さんの立ち位置をイメージすれば分かりよい。下手そうに見えたり、見え透いた裏を見せたりするが、時々、「スゴ技」の片鱗を見せる。
要するに、観客を「おお」と驚かせることを重視しているわけだ。
そういう若手にとって、ベテランはまさに高い壁だ。
当時は長与、飛鳥、そしてアジャ・コングが全盛だった時代だし、尾崎やラスカチョーラス(下田・三田)もいた。
まともに向かえば、数分で試合は終わる。
そこで広田選手はあの手この手のギャグを繰り出し、客の目を惹く扮装をして、ベテラン選手を煙に巻こうとした。
最初の段階で、観客の心を掴み、これを味方に付けることで、ベテランを自分のプロレスに付き合わせる。
そういう路線を切り拓いたのだ。
名勝負は本当に沢山ある。
「おい、ライオネル!」の飛鳥戦、アジャ戦の数々、最初の引退試合でもあった「タイガーさくら」での尾崎戦など、幾度観ても笑える試合が沢山ある。
もちろん、笑えるギャグだけではなく、時々、技術の片鱗も見せる。突然、へなちょこの広田選手が、切れ味鋭いウラカン・ラナを繰り出したりするから、観客から「おお」という歓声が上がる。
そして、何時の間にか、会場全体が広田選手に取り込まれ、後押しするようになっているのだ。
広田選手の見せ場は、ベテラン選手の「ふとした隙」にフォールを狙に行くところ。これは後年の技だが、「ふらふらどーん」(相手の技を受けた直後に、ふらふらと近寄り、力を抜いてのしかかる技?)でスリーカウントを取ってしまう。
力を抜いた人間の体は「やたら重い」という事実を利用した技?なのだが、相手選手も観客も意表を突かれる。
そういう意味では、ベテラン勢もけして気を抜けなかっただろうことが、試合中の表情で分かる。
尾崎魔弓選手が「タイガーさくら」にフォールされそうになり、「あっぶねー」と叫んだ声には、かなりのリアリティがあった。
アジャも危うくフォールされそうになった瞬間には、思わず驚いた顔を見せた。
観客はその表情を見て、「結構、広田選手なりの手法で相手を追い込んでいる」ことを知る。
しかし、広田選手のレスリングの本当の凄みは「受けの上手さ」にある。
危険な角度で幾度も技を受けており、見る側が「これはちょっと無理だな」と思うところでも、体を上げて来る。
ひとつの試合の中で、それが4度5度と繰り返されるが、粘り強いだけでなく、「受身が上手い」ということを実証してみせる格好になっていた。
これはよほど修練していなくては出来ない。
広田選手は幾度かの引退・復帰を経て、40歳になった今も現役選手だ。
相変わらず、どの会場でもリングの中心に立ち、観客を笑わせている。
だが、主敵が後輩や新人になってしまうと、さすがにかつてのような輝きを放つのは難しくなる。
やはり、相手が強大な時に真価を発揮出来るようだ。
プロレスの冬の時代を経て、今現在、生き残っている強敵と言えば、まずはアジャ・コング。あとは当初からの理解者でもあった前田薫選手や、同期に近い里村選手辺りになる。
「広田流」を生かすためには、今よりもう一枚二枚、「強大な敵」が必要だろうと思う。
広田選手との試合を成り立たせるには、会場全体を見渡す「視野の広さ」が必要不可欠なのだが、その意味では、アジャ戦から復活して貰いたい。
当方は、笑っているうちに、最も苦しい時期を通り越していた。何せこの分量の書き込みも一気に出来るほど。(それほど過去2ヶ月がヤバかったということだが。)
いずれ会場まで試合を見に行こうと思う。