日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎再び御堂観音

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◎再び御堂観音
 今の自分への曲がり角が御堂観音だったので、機会があれば参詣に行くことにしています。
 境内に入り、お焼香を済ませた後、神殿前で手を合わせます。
 「私が連れて来た魂を引き取って下さい。浮かばれない者たちです」
 ゆはずの泉で水を汲み、今度は境内の外に向かって念じました。
 「行き場が分からないなら、私について来い。連れて行ってあげる。その代わり、もうしばらく私を連れ去ろうとする『お迎え』から私のことを守れ。私にはまだやるべきことがある」
 車を発進させ、実家に向かおうとしたのですが、やたら喉が渇くので、泉の水をそのままぐびぐびと飲みました。
 信号で止まる度に「ぐびぐび」。
 これで「またどこかが良くなる」と分かりました。
 反応する人としない人は明確に線引きされるようで、これは最初に泉の水を飲んだ時に分かります。
 煮沸してお茶やコーヒーを淹れて飲むわけですが、すぐに強烈な下痢をしたのは、私と叔母の二人だけ。伯母や母には変化がありませんでした。
 下痢をした叔母にはまったく説明しなかったので、当初は「変なものを飲ませやがって」と叱られそうになったのですが(苦笑)、事情を話すと喜んで貰えました。
 今のところ、「心底より死後の存在を信じている」かどうかではないかと思いますね。
 なお、下痢をするのは体が反応しているからで、いわゆる「毒を出す」意味ではないかと思います。

 今さっき、画像を開いて見たのですが、出ていますね。
 お焼香をした時から目に留まり、じっと見られていた模様。
 普通の人には、煙にしか見えないでしょうが、今の私はこれが男で、「ついて来い」という呼びかけに応じて出て来たのだと分かります。もちろん、これは私本人にしか通じない話ではあります。
 この地は歴史があるだけあって、すごい数の魂が集まっています。

 ある一瞬から、突然、煙が出て来ます。
木の後ろで、鐘撞堂の前なので、曇りが出たわけではないようです。
 最後のは、半ば実体化していますので、男性の顔が見える人もいるだろうと思います。

 ちなみに、叔母に「お迎えが来た」話をしたら、「守ってくれようとしている者がいるんだよ」との指摘を受けました。
 「なるほど。味方につければいいわけだ」と、祈願の内容を変えたわけです。
 たぶん、この世への滞在許可が短期ながら下りたので、あと半年から1年くらいは死なずに済むだろうと見ています。