日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎慰めの言葉

◎慰めの言葉
 これは私が4歳か5歳の時の出来事です。
 夜中の2時頃に目が覚めたのです。
 お腹がやたら痛くて、トイレに行きたい。
 私が目を覚ました理由がそれです。
 その頃、私が住んでいたのは、昔風の商店の2階で、隣の部屋では父母が眠っていました。
 すぐにもトイレに行きたいのですが、何せ家のつくりが古く、トイレは家の外にありました。
 私と兄が寝ていた部屋からは、2階の廊下を端まで歩き、階段の蓋を開けて、そこを下り、部屋を2つ通り抜けて家の外に出て、トイレに向かわねばなりません。
 すなわち、トイレまで30丹幣紊竜?イあったのです。
 どの場所も裸電球ひとつの灯りだから、とても薄暗くて、 4歳の男児にとっては、恐怖そのものでした。

 いよいよ切羽詰って来たので、私は隣の部屋に行ったのです。
 もう漏れそうだから、急いで母を揺すり起こしました。
 「トイレ。トイレ」
 母は私が小便をしたいのだと思い、廊下の端にある「おまる」を指差しました。
 「そこでやるといいよ」
 子どもたちが暗がりを怖がって、トイレに行けないことを見越して、母は廊下の端っこに「おまる」を置いていたのです。
 でも、私がしたいのはウンチだからおまるでは用が足りない。大体、夜中に小便がしたくなったら、私は窓を開けて、そこから外にしていました(苦笑)。

 漏れそうになったのですが、何せ4歳ですし、うまく言葉で言い表すことが出来ません。
 じだんだを踏んでいる間に、ついに私はそそうをしてしまいました。パンツを汚してしまったのです。
 子ども心に、私は「こりゃ、母ちゃんにこっぴどく叱られるよな」と思いました。寝室でおもらしをするなんて、汚いし恥ずかしい話です。
 4歳の子どもでもそれくらいは分かります。

 しかし、その時の母はひと言も私を叱りませんでした。
 「ああ。トイレに行きたかったのっか」
 それから、母は私のお尻をきれいに拭いてくれたのです。
 「さあ、これで大丈夫。布団に行くんだよ」
 その言葉に私はほっとして、自分の布団に入って寝ました。

 私が母を思い出す時、最初に出て来るのがこの記憶です。
 母親はこんな風に暖かく、優しいものでした。
 あなたにも、きっとそんなような思い出があるでしょう。
 そんな思い出をひとつ一つ思い返しているうちに、穏やかな気持ちになって行くことでしょう。
 だから、あなたもひとつずつ思い出してみて下さい。

 これが私の「お経」で、よからぬ気配を感じた時に、その相手に語る話です。
 効力が無ければ、次は父の話をします。
 それでダメならさらに別の話です。
 そのうちに、次第にざわざわ感が薄くなります。
 お経や祝詞で追い払うのではなく、拘りを解き放つように向ければ、悪意は浄化されます。

 この3日間は、夜中じゅう、延々とお線香を焚いて、こういう話をしました。家の中にお線香の匂いが充満しています。