日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎挨拶は三文の徳 (その2)

◎挨拶は三文の徳 (その2)
 挨拶のやり方次第で、一瞬でひとの心に入り込むことが出来る。
 これはダメな例。

 木曜の朝、病棟のベッドに横になっていると、医師の問診が始まった。
 問診と言っても、医師が患者に「変わりないですか」と声を掛けるだけで、多くの患者は「ありません」と答える。
 少しでも異状を言うと、すぐに対症療法の薬を山ほど出されるから、多少のことがあっても言わなくなる。

 病院では週に3回、医師の問診があり、その都度、別の非常勤医がやってきて、自分の判断で薬の処方をする。
 医師によって考え方が違うので、前の曜日の医師の処方を取り消して、自分の流儀の処方を入れたりする。
 ま、非常勤医はそれがメシの種だ。
 ちなみに、そういう見解の相違で、違う曜日の医師同士でトラブルが発生する。自分の処方をあっさり否定されたら、ま、腹を立てて当然だ。
 これで頻繁に非常勤医が替わることになる。
 常勤医一人を雇えばすべて解決するが、病院のやりくりがしんどくて出来ないらしい。これは職員の話。
 とまあ、客(患者)にも、裏事情がバレバレになっている。
 背景はこんな感じ。

 木曜の医師も、最近、来るようになった非常勤医で、年齢は私と同じくらい。たぶん50台だ。
 その医師が型通り、「変わりありませんか」のやり取りをした後、ベッド脇に近づいて来た。
 私の顔を見ながら、その医師が言う。
 「昨日、韓国の映画を観たんですよ。その中にあなた(実際は名前)と似た俳優さんが出ていました。強い武士の役です」
 そう言って、医師はこちらの反応を待っている。
 
 へ?それって、どう答えればいいの?

 映画を観たのはその医師だし、私とは関係なし。
 私は観ていないから、「似ている」のかどうかは判断しようがない。
 まさか、「本当ですか」と喜ぶと思っていたわけでもあるまいな。

 ここで仮に答えるとすると、「そーですか」くらいしかない。
 相手にかこつけているようだが、実際には相手と接点の無い自分の話しかしていないからだ。
 この時、私は自分の顔が「白面」てやつになっていると自覚した。感情がまったくない表情だ。

 この医師がしくじったのは、私が「嫌韓」どころか、「憎韓」レベルだってことだ。
 「おめえ。何言ってるんだよ」と叫びだしてしまわぬように、無表情になっている。
 世間の嫌韓と少し違うのは、30年近く前、私は自分の会社の事務所を荒らされて多大な被害を蒙ったことだ。後になり、その犯人が「ソウルに逃げている」という話を警察で聞いた。
 犯人がその国の人間とは限らないわけだが、ま、常識的にはそこの者だ。これで「憎韓」にならないほうが不思議だ。
 わざわざ隣国に出張して犯罪を働きやがって。

 韓国映画の役者に「似てる」ってのは、こっちの神経を逆撫でにする言葉だ。
 よりによってそれかよ。
 結局、その医師の話は黙殺したが、医師はつまんなそうに去った。

 「掴みは最悪」で、たったひと言で、「こいつにはどこかでがりがりと爪を立ててやろう」と思った次第だ。
 例えを持ち出すには、適切かどうかをよく確かめるべきだ。
 逆に、相手と距離を置きたい時には、「相手はこういう感じのことを嫌っていそう」というようなことを、敢えて言うようにすると、相手の方から去って行く。
 これも習熟すると、うまく利用出来そう。
 私は人間が嫌いなので、こっちの方は多用している。