◎映画『ザ・バスタード』
アラビア語圏の映画です。
たぶん、誰も見ないので、あらすじを書きます。
冒頭は、ある男がゴミ箱から赤ん坊を拾うところから。
男はスラムのボスのところに、赤ん坊を連れて行き、「俺が育てるから、この村に置かせてくれ」と頼む。
この経緯から、赤ん坊(名はモシエン)は「捨て子」と呼ばれ、バカにされる。
ここから場面が25年以上後に跳ぶ。
大人になった「捨て子」はガードマンをやっていたが、首になる。
しかし、程なく電話会社が村を訪れ、彼の家の屋根に中継アンテナを立てる申し出をする
使用料は結構な金額だし、携帯電話の商売も出来る。
これで状況が一変する。すぐに羽振りが良くなり、村人からも一目置かれるようになる。
面白くないのは、村のボスだ。今は代が替わり、息子がその地位についている。この息子は、「捨て子」と幼馴染で、一緒に遊んで育った。
「俺に電波塔の権利の半分をよこせ。携帯の商売は俺だけがやる」
これで次第に反目するようになり、「捨て子」は仲間を殺される。
二人の幼馴染の女が、「捨て子」を助けるべく、ボスを傷つけ、ボスはこん睡状態に。
「捨て子」はいつしか村のボスに替わって行く。
「電波が欲しければ金を払え!」電波状況の改善を望む村人たちを相手に、「捨て子」は村に君臨しようと態度を一変させる。
ボスが祈祷によって目覚め、母親と相談し、「捨て子」を殺すことにする。最初はボスも躊躇するが、やがて母親に言われるまま、「捨て子」を殺しに行く。
この監督が描きたかったのは、これから先の数分だ。
ボスがナイフを手に「捨て子」の家に入ると、「捨て子」が床に倒れていた。
「捨て子」は病死していたのだ。
ボスは「捨て子」の体を抱き起こし、号泣する。(終)
幼馴染として過ごした日々が、複雑な愛憎を産んでいたわけです。
象徴的な場面が多々あり、幼馴染の女の体に蟻が沢山たかっていたり、死んだ仲間が幽霊として現れたりと、「こりゃ一体何をあらわしているのか」と考えさせられます。
でも、結局は、心の機微を描こうとしたものでした。
ネットで検索しても、製作国すら出て来ません。
おそらくビデオだけで、劇場公開はされていません。
たぶん、客はまったく入らなかったろうし、ビデオだって見る人は少ない。
でも、そんなのは関係なく、傑作だと思う。
グラグラと揺すられてしまいます。
ハリウッドが作ったら、マフィアの相克ドラマにしてドンパチさせるのでしょう。ジョン・トラボルタみたいなのが出るくだらない映画に化けてしまいます。