日刊早坂ノボル新聞

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◎こんなホラー映画を観た 『スケアリー・アパートメント』 (ネタバレ)

◎こんなホラー映画を観た 『スケアリー・アパートメント』 (ネタバレ)

 1970年代のスペインが舞台。都会の古びたアパートに、農村から一家族が引っ越して来る。いわくありげなそのアパートには、やはりそれなりの「いわく」があり、次々に変事が起こって行く。

 とまあ、オーソドックスなホラー映画のエッセンスを集めたようなストーリーになって行く。

 筋自体はごく普通で、途中から「こうなるだろうな」と思った通りに進んで行く。

 この部屋にいた「前の住人」が変死していて、その思いが残っている。

 すなわち、「ハウス系」のホラー映画だ。

 

 だがスペイン映画にはハリウッドにはない独特のタッチがあるから、割と引き込まれる。ラテン系は、人も街も「どこかねっとりしている」からだろう。

 70年代の時代背景もマッチしているし、この六人家族が前に住んでいた村から「追われるように出て来た」者たちだと分かってからは、閉塞感が増し、別の意味での怖さが加味される。

 「ネタバレ」になり過ぎぬよう、「分かり難い情報」だけ整理すると、この家族が田舎の村の農場を売って都会に出たのは、夫と妻が義兄妹の関係にあったからだ。

村人から指を差されたので、自分たちを知る者の無い都会に出て来た。

 ま、映画自体をレンタルで観ればよいと思うので、内容紹介はここまで。

 

 後半の大仰なドッタンバッタンは映画にするため仕方なかったと思うが、幾つかリアリティのある個所があった。

 

「ドアが開かなくなる」

 私自身も幾度か体験しているが、普段は難なく開閉できるドアが、突然、開かなくなる。

 鍵が掛かってはいないのに、ピクリとも動かない。

 この時の感じはふた通りで、「誰かがドアの向こうで押さえつけている」感じの時と、「ドア全体が壁に貼り付いた」感じのことがある。

 後者の場合は、わずか一ミリも動すことが出来ない。映画では、家族の一人が窓ガラスを壊し、手を差し入れて鍵を開けたが、実際にこれが起きると、ガラスも壁のようになる。 

 たとえハンマーで殴ってもこういう時のガラスは割れないのではないかと思う。

 

「揺り椅子が揺れる」「風が無いのに、服やカーテンが揺れる」

 窓が総て締まっているのに、家具やドアが動くのは、割と現実によくある異変だと思う。

 ま、空気圧の微妙な変化によるものかもしれない。

 私の体験では、扉が勝手に開き、壁が「ダアン」と音を立てるほど強く当たった。

 

「何となく人のシルエットが見える」

 この映画では、カーテンの後ろに「人影が見えている」場面になる。

 これも、現実に時々起きることだと思う。

 幽霊の観察方法(物ではなく空気と光を見る)に慣れて来ると、見極めがつきやすくなる。

 幽霊は、視覚的には赤外線域に跨った存在だから、暗闇の方が見やすい。

 夕方や夜の間に幽霊に出会うケースが多かったり、無意識にひとが闇に恐怖を感じたりするのはそういう理由だ。そこに「何か」が隠れているのが見えやすくなる。

 

 映画の中では、中心となる幽霊がひとついるが(「クレア」という名)、この部分のエピソードがやや緩く、脇役の別の幽霊(老女の化け物)との関係性も甘い。

 エンドクレジットの後、「あのバーサンの方はどこから出たのか」と首を捻らされる。

 「クレアが送った者」という設定になっていた筈だが、一体どこで友だちになったのか(苦笑)。

 ま、そこは映画だ。

 

 一人分の幽霊が生きた人間に対し出来ることは、「傍に寄り添う」程度だ。より一層、人間に関わるためには、複数の幽霊が「合体して、自我を強化」する必要がある。

 「クレア」一人分の幽霊が、物を動かしたり、他の幽霊を操ったりするようなことは、現実にはあり得ないように見受けられる。

 「ムカデ行列のように沢山の幽霊が数珠繋ぎに列を為し」たり、「複数が完全に合体して一人の姿に変じ」たりすることで、そこで初めて幽霊が自我を確立し、意思を示すことが出来るようになる。要するに悪霊化した状態だ。

 

 ちなみに、「悪霊に憑依された状態で、その人が死を選ぶ」ことで解決する流れは、『エクソシスト』の結末パターンだ。

 だが、これで除霊・浄霊が可能になることは無いと思う。

 生きている者にとっては、死は「ひと区切り」になるのだが、幽霊にそんなのは関係なし。相手(生きた人間)が死んでくれた方が容易に捕まえられる。

 死ぬことで話が終わりになるわけではなく、そこが本当の恐怖の始まりになる。

 この結末は生き残る者にとって、「目の前から消えてくれる」という意味でしかないのだが、現実にはそれもない。こういう流れなら、必ず再発する。

 

 ここ数年のホラー映画の中では、割と面白い方だ。

 幽霊の登場とは関係なく、「勝手の分からぬ地下室で灯りが消えてしまい、ライターの火で周囲を見る」場面が最も怖いのではないか。

 何があるのか、何が出て来るのが分からぬ状態が最も怖い。

 

 昔、お盆に帰省すると、夜遅くまで家業を手伝ったので、自身が墓参りに行くのは夜中の十二時頃だった。もはや灯りが落ちており、お墓は真っ暗だ。

 しかし、お墓は「異変が起きない(=幽霊が出ない)」場所であることを知っていたから、普通に墓参した。

 実際にはそこで恐怖を感じたのだが、それは足元がまったく見えぬので、「坂から転がり落ちるかもしれぬ」という理由からだった。当家のお墓は旧坂の上にあったのだ。