日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎婦唱夫随

◎婦唱夫随
 家人は時々、「もしワタシが先に死んだら、オトーサンは三ヶ月と持たない」とダンナに言います。
 私は「もしお前が早くに死んでくれたなら、保険金も入ることだし、俺はすぐに若い子と再婚して楽しく暮らす」と返します。
 大体、その自信はどこから来るのか。
 でも、何となく、そんな気もするなあ。

 家人が里に帰って一週間が経過しましたが、どんどん体調が悪くなって行きます。
 具体的にこうだと、さすがにゲンナリ

 かつて、家人に初めて会った頃のことですが、名前くらいしか知らないのに、突然、家人が私に言いました。
 「来週、田舎に帰るけど、成田まで送ってくれませんか」
 まだ知り合ってひと月くらいで、挨拶を交わし自己紹介をした程度。
 普通はそんなことなど頼まないですね。
 ところが後で聞くと、家人は「初対面の時に『この人とはおへそが繋がっている』と思った」そう。
 そこで、本人の頭の中では、既に「当たり前のこと」になっていたらしい。
 あまりに滑らかに言うので、私は「そうですか。分かった」と返事をしていました。
 それ以来、当家は「常に家人ペース」になってます。

 実際、私は「離婚される」ことはあっても、自分が「離婚してくれ」と言い出すことはありませんね。 その権利が無いのです(苦笑)。

 さて、ひと月目に成田まで送って行ったのですが、出国ゲートに入って行く家人を眺めていると、何故か知らぬ間に涙を流していました。
 「おいおい。俺はあの人のことなど、何も知らないのに」
 繰り返しますが、名前くらいしか知りません。
 涙を流す理由がまったく思い当たらないのです。
 とはいえ、涙が出ていることを自覚してからは、ほとんど号泣に近い状態になり、帰路は泣きながら帰りました(大笑)。
 次の日に幾ら考えても、なぜ自分が泣いていたのかが分かりません。
 しかし、「こういうのが今後、幾度も起きたのではたまらんぞ」と思い、それから二ヵ月後に結婚しました。
 ノロケ話のつもりはなく、まさに「奇妙な感覚」だったのです。
 何か、奉仕するために、一緒に「居らされている」という感覚です。

 でも、仮に家人が三ヶ月くらい戻って来なかったりしただけで、自分はぱったりこの世を去ってしまう気がします。
 ま、重い持病がありますので、それが何時起きても不思議ではありません。
 そろそろ葬儀保険でも入っておこうか、とも思います。