◎窮地を凌げたのか(412)
月曜は朝一番で神社に向かいました。
途中で対処の仕方を考えます。
「決まりのうち、俺が破ったのは『死者に敬意を示すこと』だ。それなら、その点については、ひたすら謝るしかない。だが、『恐れないこと』『間に線を引いて、互いにそれを侵さないようにすること』という決まりもある。自分の身がどうなろうと、言うべきことを言わねばならないな」
神殿に入ると、まずは昨日の人影について調べることにしました。
あのサイズで「たまたま実在の人が写った」なんてことがあるのかどうか。
神殿の一番端まで行き、中央に立ちました。
こうすれば、ガラスの枠との比較で、大きさを比較することが出来ます。
後ろは階段で、これ以上、下がるのは無理です。
やはり最小で一枚目の大きさです。昨日の女性も夫婦も現実には存在していませんでした。
ここで通常撮影に切り替え、1枚撮ったのです。
これは帰宅してから開いたのですが、私の左肘が妙に膨れ上がっていました。
腕を動かした時の残像に似ていますが、撮影しようとする時に動く者はいません。
また、膨れ方が異常です。
よく見ると、私の周囲に人影があります。
「なあるほど。俺が真ん中に立って、死者の通行を妨げていたのだ」
神殿に出入りする時、参拝客は必ず両側を通る必要があります。
中央の道は、「神」もしくは「あの世の住人」が通る道だからです。
普通の人なら何も起きませんが、私は双方にまたがって存在していますので、こういうことが起きます。
通常は、現界と幽界はプラス:マイナスの関係にあり、重なると互いに打ち消しあって、姿を消してしまいます。私はプラスマイナスなので、どちらでも干渉しますし、されます。
神殿では次のように祈願しました。
「昨日は不敬に及び大変申しわけありませんでした。深くお詫びをします。ただし、ひと言申し添えますが、私は毎日10人から20人くらいの死者を検知してご供養をしています。1週間でお線香を2百本は使います。そういう努力を認めていただきたく思います。もし私がいなくなれば、姿を見て、声を聞く者がなくなります」
おそらくこれでは足りません。
「では、今後はひと月に数人ずつ、生きた者の後ろにいる死者を解放する手助けをします。もちろん、私が助けるのは、生きている者ではなく、そのものに取り憑き、抜け出せないでいる死者の方です」
約束を交わしたので、これからは毎月、1~3人の人に浄霊を施すことになります。
すると、とりあえず、画像にはおぞましい姿をした集合霊が出なくなりました。
各所に幽霊が出ていますが、ごく普通に、通り道に集まっている者たちのよう。
これなら、別に当たり前です。
果たして、この数日に起きたヤバイ事態を回避出来たのでしょうか。
「あの世」の現象が「この世」の者に直接的な影響を与えることはほとんどありません。
いつも書くとおり、映画やテレビは作り話です。
それっぽい出来事の万にひとつしか霊的現象は起きません。
ただし、その「万にひとつ」のケースは、私には時々当てはまります。
これは宿命のようなものなので、致し方ありません。
上手く行ったかどうかは、8月の末頃に分かります。
その時期を超えて私が生きていれば、「乗り越えた」ということです。
そして、それは同時に「幽霊と対話が出来るようになっている」ことを示すわけです。
しかし、通常、幽霊が姿を現すのは、昼夜共に2時から3時台です。
この日は朝一番で訪れていますので、まだ何とも言えません。
追記)
膨れた肘付近をよく見ると、動物の頭のようにも見えます。
もしかして、猫?
この時ばかりは、「トラであって欲しい」と願います。
状況的に、ここでトラが出て来る目的は「私を助けるため」以外に理由がありません。
今回ばかりはそれを信じることにしました。
「自分には味方がいる」と信じることで、力が沸き上がりますね。