日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

前世は1人ずつではない

テレビ番組で、霊感の強い人が出るものがあり、結構、人気があるとのこと。
私自身はあまりテレビを見ませんので、それがどういう内容なのかは知りません。
しかし甥に聞くと、「あなたの前世は侍で・・・」、「お姫様で・・・」とか、頻繁に言うらしい。
うーん、やな感じ。

1人の個人→次の個人→その次の個人、というように、順番に生まれかわる訳ではないよ。
肉体のことを現世を渡る「舟」に例える宗教は多いけれど、「言い得て妙」で、肉体こそが個人の根源です。
体の痛みや欲望を通じ、人は「自分」を感じ取る。
逆さまに言うと、自分を感じられるのは肉体があってこそ。
でも、死ぬと体が無くなってしまうので、自分と他の存在との境界が曖昧になる。
「取り憑く」ってことはそこで起こります。その人を別の存在として乗るのではなく、自分自身だと見なしてしまう。

死ぬと、霊・魂だけの存在になるけれど、その時には本来の自分の仲間のところに同化するのが、いわゆる成仏ということ。スウェーデンボルグはこのことを、「霊団に帰る」と表現しました。
すなわち、個人→霊団(集合霊)→個人→霊団(集合霊)→個人の繰り返しになるということなので、要するに、前世が「江戸時代のお百姓さん」であるのと同時に「ブラジルのインディオ」だったということが同じように起こりうるということです。
ここでの最大のポイントは、それが「全く同じ時」かもしれないことで、霊団の中にあっては体験や心境が共有されるということ。
複数の霊感の強い人が同じ霊現象を見て、別の因果を言うことがありますが、両方とも正しいということが起こりえます。違っていても、即、イカサマ師である証明にはならない。
逆に、1つの前世だけに因果を含めた言い方をするケースは眉唾モノです。

基本的に祖父母や親は子や孫のところには現れません。本人に受け入れてもらえるように、肉親の姿で感じ取れるような現れ方をする場合はありそうですが、肉親として生きていたその人ではない。
その時にはすでに「その人ではなくなっている」という表現のほうが適切かもしれません。
よって「先祖が」、「亡くなった親族が」という説明を多用するのは、最もウソ臭いですね。

死ねば、ふるさとである仲間(霊団)の元に帰り、そこで仲間と同化しますが、それが心地よい場所であるかどうかは、それこそ自分で選ぶことになります。
天国も地獄も、閻魔様に振り分けられるのではなく、自ら進んでそこへ行くのだという説明のしかたが、一番わかりやすいように感じます。