日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

姫神山と芦名沢

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先週末は岩手に所用があり、久々に実家を訪れました。
ちょうど祖父の命日にもあたっていますので、老父母と連れ立ち、墓参りに行きました。
墓地は、かつて高校生くらいまで住んでいた家の近くにあります。

写真はこの旧実家の周辺で撮ったものです。
まずは東の姫神山。天気が良かったので、この時期には珍しく頂上付近まで見えています。

2枚目は西の岩手山。写真の撮り具合で、多少実際より小さく見えます。

3枚目は、芦名沢の地蔵堂。この祠は沢目川という小川にかかる芦名橋の袂にありますが、江戸時代にはここに「小豆洗い」という妖怪が出たという伝説が残っています。

ふるさとの風景は、どのくらい時間が経っても全く変わらず、美しいものばかりです。

墓参りの際、母が「テレビで○○という霊感師が、墓地には魂がおらず滅んだ肉体が収められているだけだと言っていた」と話します。
ああ、とため息。
ソイツは何ひとつわかっていない。

人は墓参りという共通の体験を通じ、先祖に感謝し、親族の繋がりを再確認することで、生きてゆく心の支えとするのです。
お彼岸やご命日、お盆に、普段は遠く離れた親族が集まり、「よりよく生きてゆくこと」を考えるために、思い出と共に、「身近に起こった死」を話し合うのです。
墓には霊・魂はいないなどと言ったら、衆生の多くは「お墓には行かなくとも良い」と自分勝手に解釈します。ネット画像でお墓参りを済ますなんていう風潮を助長するだけですよ。

そのアホタレな霊感師の霊視のほうはどうかわかりませんが(たぶん詐欺師)、それぞれの生き方を見通す姿勢としてレトリックがあまりにも稚拙です。

気分を治し、祖父の墓と隣の叔父の墓に手を合わせましたが、墓碑を見て、祖父が73歳で亡くなり、叔父が亡くなってから既に20年近く経つことを改めて発見しました。
あと数年もすると、叔父が亡くなった齢になるんですよね。改めて合掌です。

追記)盛岡から渋民までの切符が出てきましたので、画像を追加します。
花輪線はJRで、ワンマン電車ではなく普通の電車(たぶん)でした。この路線は雪が多く、昔はディーゼルでしたが、車両を確認するのを忘れており、定かではありません。