日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

産業廃棄物に関するあれこれ

バブル期の前後には、地域開発の成否の見通しを立てるという仕事が相当数ありました。
山林や田畑を造成し、宅地・墓地・工場等に作り変える時には、クリアしなくてはならない法令が、複数の管轄省庁にまたがって存在していますが、初期において計画全体を見通すには総合政策の分野から始めるのが最もわかりよいのです。
千葉や茨城には何度も足を運びましたが、この当時では地価が短期間のうちに上がるので、造成の計画だけがそのままで、転売の連続になっていました。

その頃、各地を思索して発見したことは、景気と産業廃棄物との関係です。
当時はまだ廃棄物マニフェスト制度がなく、経済発展と共に廃棄物の量が飛躍的に増加したため、これを処理する場所に困るようになっていました。
そこで、まずは関東の不在地主の山林に不法投棄するようになり、これが問題になると、東北の岩手や青森まで持って行き、その地の最終処分場に入れるか、黙って捨ててしまうようになった。

開発計画を進める際には、建設やライフラインのプランナーと共に、処理する方の専門家も加わります。
この中には当然、産廃業者にいますので、実際問題としてどのようにやりくりしているのかを聞いてみたのです。
その業者さんが言うには、廃棄物処理で最も困難を伴うのは最終処分場で、中間処理後の灰や建設廃材(コンクリ片)を捨てる場所を確保するのが大問題。コンクリは影響が少なく、埋め立て地に投棄できるが、焼却灰は扱いが面倒で、かつ住民の反対も多い。
その業者さんの場合は、山の中の人口の少ない自治体と交渉し、その自治体の一般廃棄物と産業廃棄物の最終処分場を無料で作ってあげる見返りに、産廃処分場の何メートルか分の権利をもらうのだという話でした。

ある町の例では、その処分場の建設に30億かかったとのことですが、その町から出る廃棄物ではほんの数メートル埋めるのに20年はかかるのに、自社のもらう深さ20丹幣紊諒は首都圏からの焼却灰で数年で一杯になるということです。
初期投資の30億は最初の1年で回収できるという話でしたので、さすがバブル期は今とは桁が違います。

「産業廃棄物」と聞いただけで拒否反応を示し、「とにかく反対」という姿勢に立つ人が大勢を占めます。
しかし、一般廃棄物の8倍から16倍くらいの量の産業廃棄物は、人間の住む地域からは確実に出ます。
例えはどうかと思いますが、「トイレが臭いからといって、家にトイレを作らない」わけにはいきません。
家族の数が多く、あまりにも家が手狭な場合は、他所に作らせてもらうケースもありますが、なるべく自分の家のトイレは家の中に作る方が摩擦が少なくなります。
この場合、大きい家に住む割には家族数が少なく、費用の面でトイレを作れない家族もいますので、両者の合意により、大きくて清潔なトイレを作らせてもらうことになるわけです。

きちんとルールを守り、環境に影響の少ない処分場を作る事で、問題解決は双方ともスムーズに運ぶはずですが、近くに処分場ができるのは嫌だという理由で「とにかく反対」としたり、捨てる場所に困るからといって安直な捨て方を探すことを戒め、よく議論することが必要であると思います。

大都市では、自分たちの税を「地方に回してやっている」という意見を言う人がいますが、それなら廃棄物持ち込み税を設定すれば、適正かつ合法的に利益配分が可能になります。
何事もお互い様の気持ちから、ということでしょう。