日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎今日の不審な出来事(5/30)

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◎今日の不審な出来事(5/30)

 この数日、眩暈がしてまともに歩けぬので、通院から帰ると、そのまま居間で横になっている。たまにPCに行き、少し作業をしたりするが、一時間と持たぬので、また居間でごろ寝。日中も夜も同じだ。

 昨夜、やはり居間で眠っていたのだが、ふと眼ざめると、横に置いてある「マスク入れ」のタッパーの蓋が床に落ちていた。このタッパーは段ゴール箱の上に置いているから、床上七十㌢の高さにある。

 「滑り落ちたか」と思い、蓋を元通りに載せて、また眠った。

 深夜二時頃になり、トイレに起きようとすると、また蓋が落ちている。

 「おかしいな。中身はマスクだから滑り落ちたりし難い筈だが」

 もう一度直し、トイレに行った。

 午前四時頃、足元にコツンと何かが当たったので、その感触で眼を覚ました。

 すると、また蓋が落ちていた。

 おかしい。タッパーは完全に「横置き」にしてある。地震が起きてようと、蓋が滑り落ちるほど横に動いたりはしない筈だ。

 

 「最近、何か変わったことをしたのか」と自問すると、この数日で変えたのは、「コロナに感染しているかもしれんが、無症状もしくは軽微な症状で止めてくれよ」と祈願し、これまでご供養して来た「あの幽霊」「この幽霊」を呼び寄せていることだけだ。

 要するに普段とは逆のことをしている。

 ずっとお焼香をしているから、もはや全身が線香臭くなった。

 「要請に応え、お友だちがわんさか集まっているのか、それとも」

 あるいは逆に、また「お迎え」の方が来て、手を伸ばそうとしているのか。

 もちろん、総てが想像や妄想の世界なのだが、でもこの蓋が夜中に三度落ちるのか?

 ま、当家では、テーブルの上のペットボトル(中身あり)が、いきなり横倒しに倒れたりする。

 いずれにせよ、あと数日で本格発症するか、逆に免疫が出来ている。

 ここが「あの世ウォッチャー」が力を発揮すべきところだと思う。

 

 手元にデジカメが無く、スマホで撮影したのだが、ギャラリーを開けると、一週間前に駅前の駐車場で撮影した画像が残っていた。

 どこに行くにも線量計を持参し、いつも計測している。

 これは原発事故直後のつくばの研究者のコメントが「癇に障った」ことがきっかけだ。

 その男は「放射線量と人体への被害の因果関係はまだ実証されていません」と口にした。

 これは研究者らしい表現で、「分からない」を専門家っぽく言ったことだ。

 コメントを要請した側は、専門家が「因果関係を否定した」ことを踏まえ、「人体への直接的影響はない」みたいな表現を使った。ちなみに、後者は官房長官時代の菅氏だ。

 菅氏は職務だからともかく、専門家・研究者には本当にバカが多い。これは「社会性」という意味でだ。自身の研究のことに没頭しているから、自分が他者にどう利用されるかを考えない。

 自身の考えを自分が納得いくように話すだけで、受け取る側のことには配慮しない。

 素人に訊かれた時には、その素人が分かる表現で伝える必要があるのに、この専門家は説明(確からしさ)にこだわった。

 あそこは「正直、分かっていません」と答えるべきところだ。

 それが腹立たしいので、「次にふざけたことを言ったら、こいつらの息の根を止めよう」と、実測データを揃えている。

 世のため人のため、あるいは正義のためではなく、欺瞞を許さぬためだ。

 「因果関係を実証できない(分からない)」ことは、「安全だ」という意味ではない。

 

 その逆もある。

 一応の安全基準を設定し、それに合意する場合は、そのラインを守っていれば、ひとまず条件をクリアすることになる。

 国際基準に照らし合わせ、福島の処理水がそれを満たしているのであれば、放流を止める合理的根拠がなくなる。

 原発を許容する限り、廃棄物は出るし、それを処理する必要がある。

 中韓でも原発保有し、処理水を放出している(しかも基準を満たしているか怪しい)のに、福島だけはダメと言う理屈は通らない。

 原発の処理水放流がダメなら、「総ての原発を止めさせる」という主張をしない限り、論理の一貫性を保てない。

 ちなみに、私は原発自体を廃止すべきだと思う。これが出来ぬなら、皆の合意で定めた一定基準以下の放流は仕方が無い。ケツは私たち全員が拭くことになる。

 

 脱線したが、線量に気を取られていたので、「まったく異状なし」であることが分かれば、どうでもよくなる。

 画像が逆光で見難いから、これまでほったらかしになっていた。

 今回、たまたま家で撮影した画像を開いたら、その隣が駐車場の画像だったということだ。

 すると、ほんの少しだが、床の斜面にうねりがあるような気がする。

 要するに、「光が真っ直ぐに走っていない」と言う可能性があるが、そういうのは「あの世現象」の時によく起きる。

 実はこれが裏技だ。理由なく光(景色)が歪んでいるところに着目すると、周囲の空気に影が見える。

 

 車の窓ガラスのすぐ外に女性が立っていて、窓越しに中を覗き込んでいるような視線を感じる。

 隣の男は、たぶん「気のせい」だと思う。

 そして、本体はそのふたつの後ろにいて、ふたつを操っているヤツ(女)だ。

 生きている者でも死んだ者でも、黒幕は後ろに隠れていて、前に姿を現すことがない。

 だがもちろん、警戒が必要なのは、姿を見せぬ方になる。

 

 日光が「光線の束」に見える時には、光の進行(直線)を妨げるものがあれば、すぐにそれと分かる。先にある物ではなく、途中の空間の様子が見えやすくなるのは、そういう理由による。

 

 さて、医療が及ばぬ時には、心置きなく「あの世友だち」を動員出来る。発症をここで止めて、かつ自己免疫獲得と行きたいもんだ。週明けには、すっかり良くなっているか、「おさらば」しているだろうと思う。

  さて、二日近く寝ていたので、これから慌ててあれこれと処理を始めることにした。

 

追記1)まさに「具合の悪い者」が書いているような内容だが、実際、今も眩暈がして、真っ直ぐに歩けない。右眼と左眼で見えているものが分かれている感覚だ。

 

追記2)画像を追加した。

 この窓の外は、時々、「窓のすぐ外でぶつぶつと何か話しているヤツがいる」と書いている場所になる。
 台所のカウンターの横からここまでの線の上は「通り道」だから、とりあえず「死神(お迎え)」ではないということ。まだチャンスはある。