日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

小学校の教室から

妻は小学校で英会話講師をしています。

妻によると昨年度まで勤務していた小学校の1つはかなり荒れており、児童が教員に殴りかかることが何度かあったという話です。
5年生や6年生の中には、教師の注意を聞き入れず、口ごたえをするだけでなく、手を上げる者がいた。
1人が反抗すると、すぐさま4人、5人と集まり、同じように教師を殴ったり蹴ったりしたとのこと。

妻は外国人ですが、故国では考えられない事態です。
妻の国では医者は公務員並みの報酬で、教員はそれよりも低く、民間企業の勤め人より所得が低い替わりに、聖職者としての威厳を持ち尊敬されます。
暴力はおろか口ごたえだって許されません。

同僚が児童に暴力を受けるのを見るに見かねた妻は、教師に暴力を働く生徒たちのお尻をモップの柄で叩きのめし、やめさせました。
ところが、自分が守ってあげた教師だけでなく他の教師たちも、口を揃え、妻に「やめてください」と言います。
「何故?」と聞くと、体罰はどうとか、あれこれ理由を言うけれど、本意は「(文句タレで有名な)親が怒鳴り込んでくるから」ということらしい。「この子どもにして、この親」ということですが、それでも面倒ごとは避けたいということですね。
生徒に殴られた先生本人も、「○○君たちに叩かれたから、骨が折れたかもしれないよ」というような同情を引くための言葉を発するだけで、生徒に直接立ち向かおうとする姿勢が全くない。

もちろん、妻にはそれが我慢できません。
厳しく叱られると、「オマエなんかお父さんが教育委員会に言いつけてやめさせてやる」と言う悪ガキもいるとのことですが、妻は「ではすぐにお父さんを連れてきなさい!新聞記者を呼んでお父さんのことを書いてもらいます」とやり返した。
もちろん周りの教師たちは、「まあ、まあ落ち着いて」と逆に妻をなだめ、たしなめる。
こんな日々が続き、いつの間にか妻は生徒を厳しくしつける教師の筆頭になっていました。

冬休みが明けた頃、黒板や壁の何箇所かに「○○○○死ね」と書かれたとのことです(○○○○には妻の名前が入る)。
犯人は悪ガキグループの5年生で、モップでお尻を叩かれた生徒です。
校長に言うと、「そんなこと誰がやったんでしょうね」と他人事のような返事でした。もちろんその後何をするわけでもありません。
(よくいますね、こういう管理職の人)

妻は全部のクラスで、「先生にそういうことをやってはいけない」と諭し、「皆がそういう態度ならワタシは来年は別の学校に移り、替わりにここにはデブでブサイ、根性の悪いババア先生が来ます」というようなことを言いつけました。
(ちなみにこのフレーズは外国人である妻の言を私が意訳したものです。念のため。)

これに対し、ほとんどのクラスで、「先生、やめないで」と泣く生徒がいたそうです。
例外はもちろんあの5年生グループのクラス1つだけでした。
実際には、新年度から別の学校に移ることがわかっていたため、妻は少し子どもたちがかわいそうに思う気持ちになったとのことでした。

こういう体験談を聞くにつけ、義務教育はあくまで親と地域にとっての義務で、学校は「自らの理念に従って教育を施すところ」という権限を強化すれば、今とはかなり違ってくるように感じます。