日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ミストと窓(424)

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◎ミストと窓(424)
 「八月の危機」を回避したので、次は十月頃だろうと見ている。
 今は休息期間のようで、あの世の方から働き掛けられることがだいぶ減った。
 ちなみに、過去数ヶ月間は夜中の2時頃に「声」で起こされた。
 だいぶ涼しくなったが、そのせいで心臓の調子があまり良くない。手足が重苦しく、横になっていることが多くなった。...
 イライラするし、キレて誰かに当たりたくなる。
 ま、「ガス抜き」が必要だろうと、とりあえずいつもの神社に参拝した。この日が424日目で、当初の目標は「百日」だったから、かなり長く持たせていることになる。
 もちろん、周知の通り、「あの手この手」であらゆる手立てを総動員している。ついに、「あの世の者」に協力する約束まで交わした。これは一般的には「魂を売る」と言う。
 もちろん、こんなのは俺独りの妄想だ。
 「妄想」の場合、現実に何が起きても免責になるから、必ずこの断りを入れる必要がある。

 体調が悪いから「今日は出るだろうな」と思っていたが、やはり出た。
 通常、始まりは「煙玉」だ。こいつ自体は心霊現象でも何でもないが、付帯的な要素らしく、「予告メッセージ」みたいな出方をする。
 その次が「ミスト」だ。ミストは霧みたいなヤツで、幽霊が現れる時には必ず出るから、俺は「幽界の霧」と呼んでいる。
 最後が「窓」だ。
 ミストが立ち込めた後、その中に四角い窓が開くことがある。そこには、概ね視線だったり、人影が写るが、ミスとの時みたいにおぼろげではなく、かなり実体化している。
 姿かたちがはっきりして来るわけだ。
 通常、ここまでで、この段階できちんと処理し、ご供養をすれば、何の差し障りも生じない。

 だが、ひとつ間違えて、窓から顔を出した幽霊をこちら側に招き入れてしまうと面倒なことになる。窓は開いているから、そこを通ってそいつが出て来る。いざ出て来たら、自分を呼んだヤツの中に入るから、そいつが抱えていた悪意をまるごと引き受けてしまう。
 心霊写真を見るだけでは、何の障害も起きないが、笑ったり楽しんだり、嘲笑したりすると、先方と接点が生じてしまう。
 恐れるのは最も不味い。「恐れる」のは「共感する」のと同じ意味で、「扉を開けて招き入れる」のと同じことになる。
 あの世の存在に触れたら、まずは敬意を示し、ご供養を施して、極力、身近に留め置くことをしない。それが賢明なやり方だ。

 今日のは割と判別がしやすいから、「見える」人は3割くらいいるのではないかと思う。
 もう少し連写していれば、鮮明になったと思うが、そういうのは好奇心に基づく行為だからやってはいけない。
 俺は何をするにも、その都度、丁寧にご供養をしている。
 もう少し生き延びて、あと数本の著作を書くためにやっていることだから、心霊研究家でも霊能者・霊感師でも、スピリチュアルカウンセラーでもない。

 この画像の中で最も鮮明なのは、子ども(あるいは女性?)の首を絞める男の姿だ。実際にひとを殺しているし、自分も死んでいる。
 死に間際の悪意が凝り固まって、死んだ後もひとを殺し続けている。
 子ども(または女)は、この男の念によって生じたかたちだけの存在だから、心がない。死体のように見えるのはそのせいだ。

 こんなヤツでも、何時かは執着心を解き解して、霊界に向かって貰う必要があるから、今晩はコイツのためにご供養をする。
 回りに沢山いるのは、まだ準備が出来ていないから、しばらくはそのままだと思う。