日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎冬の方が多い

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冬季の「説明のつかない現象」

◎冬の方が多い

 「あの世」系の「説明のつかない現象」は、夏に起き易いようだが、実際には寒い季節の方が沢山起きている。

 概ね11月から3月の間が最盛期で、とりわけ12月から1月に頻繁に起きるようだ。

 ここ数年の冬季の画像を拾ってみると、すぐに様々なものが見付かった。

 

 今に繋がる分岐点は、某神社で猫の写真を撮影しているうちに、たまたま神殿の窓ガラスを撮影した時だろう。何気なくガラスを見ると、そこにはいないはずの人影が映っていた。

 「光の量と波長が関係している」ことが分ったのは、それからしばらくしてからだが、それ以降は、自身の状態を確かめるために、時々撮影している。

 「煙玉」は何らかの説明のつくことが大半だが、まれに何とも言えないものがある。

 煙の中に顔が見えている場合もあるから、「総てが自然現象」とは言えない。

 しかし、これが出ても、まったく影響は無いから、気にする必要は無い。

 

 「人影」はあまり鮮明でないことが多い。赤外線と関係があるようで、その量と交差角度によって、はっきり写ることもある。

 「視線」の多くは、眼のかたちをしているから、分かり易い。

 「眼は心の窓」で、たまたまそう見えるのか、あるいは見えた通りに「眼」なのかは、割と判別し易い。

 「人影」にせよ、「視線」にせよ、撮影する側に向けてのメッセージが含まれていることが多い。

 「自分のことを見て欲しい」「助けて欲しい」ということが多いが、これは相手によって様々だ。

 

 写真に「そこにはいないはずの人影」が偶然写ることは、誰の身にも起こり得る。

 恐れる必要は無く、すぐに捨てるだけでよい。

 自身でご供養を施せばそれでよいのだが、やり方が分らないのであれば、「私には助けられません。関わらないで下さい」と声に出して言えば、さしたることは起こらない。

 いつも書くが、「凶悪犯の写真を撮ったからと言って、何かが起きるわけではない」。それと同じことで、写真は写真に過ぎず、問題は「どう関わるか」ということから生じる。

 嘲ったり、興味本位で捉えたりすると、悪影響が生じることがある。

 「敬意を払い」つつ、「距離を置く」ことが肝要で、きちんと向き合えば、ホラー映画や恐怖小説のようなことは起きない。

 いわゆる「心霊現象」は「怖ろしいもの」として捉えられがちだが、無闇に敵視する必要は無い。現実に「同じ空間を共有している」わけであるから、棲み分ければそれでよい。幸いなことに、お互いにほとんど目視出来ないという状況にある。

 私は時々、幽霊に抱き付かれるが、直接そのことが原因で不都合が生じたことは無い。(ゼロではないので、念のため。)

 

追記)これまで気付かなかったが、参拝客の間にうっすらと視線(顔や眼)が出ていた。

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人の間に複数の視線がある。