日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎霧のむこうに

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12月29日撮影

◎霧のむこうに

 ここはブログ(日記)だから、SNSみたいな交流の場ではない。

 相手関係を考慮する必要がないのだから、新年の挨拶も本来不要だと思う。

 自分のことを記録しているに過ぎないからだ。

 それでも、ま、自分に対しても区切りが必要だから、「あけましておめでとう」と記して置く。(要するに「今年も偏屈だよ」という宣言なのだが。)

 

 ところで、29日の画像には「どうせ誰も認知できない」と考え、記述を保留したものがあった。

 幽霊が姿を現すときには、多く、霧のような「もや」が立ち込めている。

 肉眼では認識できないが、写真には写る「霧」だ。

 私はこのことを「幽界の霧」と呼んでいるが、もしかすると、この霧は幽界そのものなのかもしれない。

 よくよく観察していると、最初は霧や煙状だが、それが次第にかたちとなり、人の姿に変わって行く。(このことを「実体化」と呼んでいる。)

 ともあれ、時々、水煙とは言えない霧が出ることがあるし、そういう時には、概ね霊的現象を伴う。

 

 29日の画像もそういう類のものだが、しかし、あまり鮮明ではなく、手元でメモリの大きな画像を見られる私でなければ、確認できないと思ったのだ。

 霧の向こうには、想像をはるかに超える「変なヤツ」が沢山いる。

 「猫わらし」のような異形から、「全身が蜘蛛で頭だけ人間」のような妖怪のようなものまで潜んでいるようだ。

 幽霊は自我の存続のために、同じような気質を持つ者と同化・合体を繰り返すが、その過程で、外見が変わってしまうのだろうと思う。

 画像の中央は、ほとんどシルエットだけだが、手足が異様に長い女だ。

 一体どういうものなのかは、まったく想像がつかない。

 ま、ウェブに出せる画像は情報量を落としてあるから、目視が難しいとは思う。

 

 これよりも周囲の左眼の方が目に付きやすい。

 時々、眼だけが出ていることがあるが、多くは「自分を見ているか」「見られているか」どうかを確かめようとする視線だと思う。

 こちらが「見える」ことが分ると、傍に寄って来ようとするから、「見えない」「気付かない」方がむしろ無難だ。

 「気のせい」「錯覚」だと見なし、スルーするに越したことは無い。