日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎もって生まれたもの

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どこでも起きる事例

◎もって生まれたもの

 火曜に病棟に行くと、看護師Kが私の担当になりベッドにやって来た。

 顔を見た瞬間に、「ああ。今は俺と同じことが起きている」と確信したので、声を掛けた。

 「今はあまり良いことがないでしょ?」

 すると看護師が素直に頷く。

 「そうです。何だか嫌なことばかりで」

 

 この看護師には、数か月前からキャンデーを渡している。

 その娘本人に上げているつもりはなく、後ろにいる「お婆さん」に与えていたのだ。

 その「お婆さん」は一度だけだが、鮮明な姿を目したことがある。

 一度見てしまうと、その次からは「今はいる」「いない」が何となく分かる。

 

 そこで特定の宗教に立ち入らずに、悪縁を祓う簡単な方法を教えた。

 何も感じていなかったり、頭に無い者は、こういう話を一笑に付すか、端から聞く耳を持たない。そういう人には何も起きず、変わらない。

 このため、普段は他人に話すことはない。

 いつも「生きている者を助けることはない」と言うのは、半分はそういう意味だ。

 実際、文字では書くが、私が口頭で誰かに「あの世」の話をすることは無い。

 「聞く耳を持たぬところでは、音は存在しない」からだ。

 

 看護師には幾つか具体的な手法を教えた。

 「こういうちょっとしたことで状況がみるみるうちに良くなる」

 ま、環境が変わるわけではなく、受け止める側の心持が変わる。気持ちが前向きになると、状況も好転する。そういう流れだ。

 看護師はじっと聞いている。

 こういう話をを黙って聞くのは、身に覚えがあるということだ。

 

 「あの世」の影響を受けやすい人と、受けずに済む人がいるわけだが、これは生まれ持った性質のようなものだ。これは最初からそうなのだから仕方がない。

 まずはそういう自分を受け入れて、その中でどうすれば良くなるかを考えて行くしかない。

 

 かつて、霊感師のO先生は、私のことを見て、開口一番に「貴方は神霊体という気質を持つ人で・・・」と話し出した。

 つい最近まで、何のことか理解出来なかったのだが、今は分かる。

 過去を遡り、何十年前の画像を点検してみても、どこかに煙玉が写っているし、片隅に人の顔が写っていたりする。

 もちろん、その当時は気付いていなかったし、今もよく気を付けて見ないと分かり難い。「あの世」は現界とはプラスマイナスの関係にあるから、お互いに認知しにくいのだ。

 だが、ほんの少し境界線をはみ出てしまうと、その先が少し見えてしまう。

 ちなみに、こういうのは能力でも何でもない、検知幅が広いだけだ。こういうのを能力と考え、自らを能力者と自称することだけで、「ナンボのもの」かが分かる。

 

 さて、看護師Kも私と同じようなことを感じ、また具体的に経験していることが分かったので、O先生と同じようにきちんと伝えることにした。

 「貴女は俺と同じなので、幽霊の影響を受けやすい。常に気を配らないと、ぞろぞろと連れて歩くことになりかねない。身の処し方を習い覚える必要がある」

 気が付くと、私はO先生とまったく同じことを言っていた。

 修行を積む必要があるが、一般人のする修業とは「お経を詠む」「祝詞を唱える」ことでも「写経をする」ことでもない。常日頃から、よく「あの世」を観察し、実体験の中で考えることだ。意味の分からない文言を暗記し並べたところで、念を送って遠ざける意味にしかならない。何年も修練を積めば、念の力を得ることが出来るかもしれないが、一般人は付け焼刃にもならないのだ。

 餅は餅屋で、お経は僧侶、祝詞神職に任せ、一般人は「普段使う言葉」で語ればよい。それが最も説得力がある。

 

 ひとつ大きな問題があるとすると、ほとんどの人が理解してくれないことだ。

 目にするものが可視域の外で、聴くものが可聴域の外だから、他の「正常な人たち」には、見えないし聞こえない。カメラやボイスレコーダーを経ると、可視聴域にだいぶ引き寄せてくれるのだが、それでも見聞きするものが少し違っている。

 そこで自身を「理解してほしい」という思いを捨てる必要がある。

 母は死ぬまで、自身(だけ)が見聞きして来たことを語らなかったが、「変わり者」と見なされないためにはそういう選択もアリだ。

 

 さて、画像は各地で記録した煙玉その他の事例だ。

 長らく「どこへ行ってもこういう現象が現れる」と思っていたのだが、説明のつかないケースでは、どうやら私自身が発生させていた模様。これは最近になりようやく分かった。

 新築のビルでも煙玉が出るが、その場所ではなく、そこにいた者(要するに私)に関係していたわけだ。

 こういう煙玉や光がある種の「標識」となり、それを目指して幽霊がわんさか集まって来る。

 この状況が神霊体というもので、「その人」ではなく、そういう「状況」のことだ。

 幽霊に寄られると、感情が同期するから、怒りや悲しみなど起伏が飛躍的に大きくなる。

 自分ではない「何か」が自分の心の持ちように深く関わっているのなら、それを注意深く観察し、悪意を除外することで、心境を好転させることが出来る。