日刊早坂ノボル新聞

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◎危機を報せる予兆

◎危機を報せる予兆

 病は少しずつ罹って行くのではなく、本人の自覚的には「ある日突然」やって来る。

 体を壊す時には、それこそ「階段を踏み外すかのように」転げ落ちる。これが実感だ。

 だが、注意深く自らを観察していると、事前に何かしらの予兆が出ている。

 私自身の実体験で生じた予兆の代表事例を記して置く。

 

1)体の中から発する煙玉

体の中から現れる煙玉

 煙玉は基本的に物理的反応だ。空気の状態(気温や気圧)と湿度、およびその他の条件が合致した時、あるいは異変が発生した時に可視化する(磁気や放射線量)。

 ごくまれに「説明の付かぬ煙玉」が発生することがあるが、霊的な異変を伴うものであっても、その源が環境に与える変化によって付帯的に生じさせたものだろう。

 一部には説明の付かぬ煙玉を「オーブ」等と称して、そのもの自体が「あの世現象」だと見なす者がいるが、誤りである。煙玉は変化の帰結であって、要因ではない。

 煙玉があたかも「窓」の役割を果たし、中に顔が覗いて見える場合でも、接点が生じたので、その影響で現れたと解釈する方が合理的だ。

 煙玉の大半は、純粋な自然現象なのだが、人体の中からこれが現れることがある。

 おそらくは生理的な要因に関連しており、体に異変が生じているから、例えば磁気異常などの要因によって現れるのだろう。

 私は折々でこれが現れ、画像に残っているが、その都度、ひと月から数か月後には入院した。

 そこで、これを「生理的煙玉」として、常に自身の状態をチェックするための素材とみなしている。何せ病気の自覚症状が現れる前から、この煙玉が現れる。

 他方、煙玉自体はささいな要因で発生するので、体の近くに出ても何ら影響がなく、予兆とは関わりのないものもある。

 三番目の画像の左は、よく見ると六角形のかたちをしている。これは湿気と光の関りで生じるもので、単なる自然現象だ。

 右は子どもの周りに出る煙玉だ。子どもは生命力が強いから、説明の付かぬ煙玉の類が出やすい。だが、これは生体反応のもたらすもので、大人とは逆の意味を持つ。

 活気があり、常に成長しているから、肉体が変化しているということ。

 あの世現象でも何でもなく、当たり前の兆候だ。

 

2)自分にそっくりな人影

自分に外見を似せた人影

 病気などで生命の危機が近づいている時には、当人そっくりの姿かたちをした人影が現れることがある。これは幽霊が、その人に化けて、より接近しやすくなろうとしているものだから、警戒が必要だ。

 幽霊がひとに寄り付くのは、主に同化・合体を目的とする。別の幽霊や人間の心と一緒になることで、自我の強化を図る。

 服装やポージングを同じくし、その相手に接近しやすくするわけだが、それを悟られぬように、極力、身を隠そうとする。

 画像の中でも、ごく薄らと見える程度なのだが、同じ服装をし、同じ立ち姿をしている。もちろん、完全に同一には出来ぬようで、相違点が幾つか発生する。

 ガラスの継ぎ目には同じものが左右に別れて映ることがあるが、左右の細かなアイテムが異なることがある。片方は化けた姿だということだが、こういうごくありがちで見逃しがちな状況だと、幽霊も油断するようだ。

 画像の左は、あまり慣れぬ幽霊だったらしく、似せ方が下手だ。私の背後から近づき、背中に手を掛けているわけだが、顔が私とは全くの別人のそれだ。私の頭はカメラのフラッシュの近くにあるのだが、幽霊が接近したので消失したようだ。

 中央と右は、かなり巧妙に景色の中に隠れている。よほど注視せぬと、これが人影だということすら認識出来ぬと思う。だが、その当人(私)はすぐに分かる。自分に似せているだけに当たり前だ。

 一人分の姿のように見えるが、実は数十の幽霊が凝り固まった霊体で、その証拠に全身に「眼」、すなわち自我・自意識が散らばっている。

 一度心停止を経験してからは、私はあの世の住人にとっては見え易い存在のようで、周囲に沢山の人がいても、真っ先に私を目指して駆け付けて来る。

 非常に迷惑な話で、こういうのは是非とも他の人に味わって貰いたいと思う。

 ただ、もっとも警戒すべきは、明らかに「心の中に侵入しよう」とする意思のある者たちだ。肉体のあるうちは、必ずしも魂を取り込むのが容易ではないので、当人が死ぬように死ぬようにと導く。心の中にどんどんマイナス思考を送り込んで来る。

 「もう生きていたくない」「もはや人生に意味はない」のような考え方は、別の者が吹き込んで来たものかもしれぬので、よくよく自分自身を顧みる必要がある。

 こういう幽霊たちは、その人が「取り込みやすい状況になるのが近い」から急いで接近して来るわけだが、それは要するに「その人の死期がすぐ近くに来ている」という風に解釈できる。

 寄り付かれると、死期が早まる虞があるので、いち早くこれを発見し、「きちんと見ているからな。俺に近づくな」と警告を発することが重要だ。

 死期自体を改変できるかどうかは微妙だが、無用に短縮させられるのは避けたいものだ。

 西欧の伝説のひとつに、「自分とそっくりな者(ドッペルゲンガー)が現れると、その人は間もなく死ぬ」というものがあるわけだが、あながち全く根拠の無い都市伝説でも無いのではないかと思う。

 

 以下はオマケ画像。

別の煙玉や「寄り付き」の事例