◎夢の話 第788夜 道はふたつ
二十日の午前五時に観た夢です。
目が覚めると、すぐに閃いた。
近所にヤマメの養殖場があることを思い出したのだ。
「直接あそこに行けば、生きたのが買える。鮮度の高いヤツならマリネが美味いだろうな」
思いつくと我慢するのは無理。
すぐに買いに行くことにした。
外に出て、小走りで往来に行くと、何だかこれまで見たことが無い街だ。
「俺ってここに住んでたの?」
起き掛けだから寝ぼけているのかもしれん。
とりあえずタクシーを待った。
しかし、これが何時まで経っても前を通らない。
すると、近くにいた爺さんが声を掛けて来た。
「タクシーを拾いたいのか?それならあっちの交差点に出れば、トクトクが来るよ」
トクトク?
そりゃタイの話だな。サムロとトクトクが市民の足だ。
「こりゃ夢だ。俺は今、夢の中にいるわけだ」
ツイてる。夢の中の「俺」はいつもアラ30歳だ。
体が軽いから、いろんなことが出来る。
「それなら、今の俺を楽しまないとな」
とりあえずトクトクにでも乗るか。
交差点の方に歩き出す。
すると百歩も行かぬうちに、目の前に男が現れた。
浅黒い肌をしたタイ人だ。
タイ人はポケットから拳銃を出すと、何やら早口で喚いた。
「※※×〇▲◇」
タイ語は数年間勉強したが、こんな早口じゃ、何を言っているのかが分からない。
でもま、言わんとする内容は分かる。
「金を出せ」に決まっている。
ここで俺は少しく思案した。
「少しでも抵抗の素振りをすれば、この国の強盗はすぐに撃つ。気が小さい者が多いからな。至近距離だから外さないだろ」
俺の知人にもそうやって強盗に殺された者がいる。
こういう時の用心に、俺は財布には二千円しか入れない。財布ごと渡したところで、大した額ではないし、強盗のコイツも女房子どもに今日の飯を食わせてやれる。
一人旅の心得で、持ち金の大半は足に付けたサポーターに入れてある。パスポートはコピーだけを持ち歩く。
「でも、これは夢なんだよな」
夢の中で最大の吉夢は、「死ぬ夢」だ。「死」は「再生」も意味するのだから、この先の運命が新しく開けることを表す。
「しかし、そいつは夢判断の話で、占いと変わらない」
当てにならないよな。俺は基本、占いなど信じない。
手相はただの皺だし、猿にもコアラにもある。生年月日は人が決めた目安だ。
もうひとつの考え方もある。
「ここで迂闊に死ぬと、俺は夢から出られなくなるかもしれん」
実は本当の自分は心不全なんかを発症する直前で、夢はその告知。
ここで殺されると、俺の体は死に、俺自身の意識は夢の中に閉じ込められる。
死んだ後に展開する世界は、総てが本人の心が作り出すものだ。見えるもの、聞こえるものが、その魂自身が思い描くものになる。
だから、生前に繰り広げた心象経験が正確に反映される。
悪心を持つ者は死んでもそのままだし、自殺した者は死に間際の暗い心境のままでいる。
「何だ。それなら悪い話じゃないじゃないか」
今の俺はアラ30歳、たぶん28歳くらいなんだし、ここで死ねば、成仏しない限り、そのままこの世界にいられる。この世界を旅すれば、生きている時に得た様々な経験がかたちを変えて現れる。
「きっと楽しめるよな」
しかし、ここで頭の中に声が響く。
「早く帰って来て」
女房の声だった。
今やいつも口喧嘩するばかりだが、姿が見えぬと不安になる。これはお互い同じこと。
「俺が今死んだら、困るだろうな」
はて、どうしよう。
目の前の強盗が再び口を開く。
「※※×〇▲◇」
さて、本当にどうしたもんか。
ここで覚醒。
正解は「いつでも死ねるだろうから、とりあえず財布を渡す」だ。
それでコイツは赤ん坊のミルクが買える。
貧乏な国を歩く時の心得は、貧しい者を助けてやれ、ということ。
自身には小遣い程度なんだし、その結果、この強盗が人を殺さずに済む。
後のが重要だ。