日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎右腕が膨れた翌日 (一年前の振り返り)

f:id:seiichiconan:20200607125321j:plain
f:id:seiichiconan:20200607125305j:plain
f:id:seiichiconan:20200607130919j:plain
令和元年七月三十日撮影

 ◎右腕が膨れた翌日 (一年前の振り返り)

 前日の七月二十九日には、最初に撮影した画像で右腕が異様に膨れていた。

 理由が分からぬと、さすがに気になる。

 そこで翌日も、同じ神社に参拝した。

 

 暑い盛りなので、さすがに参拝客は少ない。

 神殿前で自身のガラス映像を撮影すると、柱の陰から少年が顔を出していた。

 割と鮮明だ。

 ただし、「声」が無く、存在感が乏しい。

 すぐに赤外線カメラでも撮影したが、同じものが写る。日光が当たっているという意味なら、日差しが当たっている他の場所も同じように写る筈だが、周囲は暗い。

 それでも、これは何の影響もなく、「通行霊」よりも希薄な存在だから、事実上、「気のせい」と同じ意味になる。何ひとつ影響がないなら、存在しないのと同じことだ。ただ単に「たまたまそう見えた」という解釈でよい。

 

 逆にどんなに不鮮明でも、きちんと自己を主張する者もいる。

 こちらを見据え、はっきりと「助けて」を声を掛けて来る場合は、かたちの有る無しには関係なく、そこに居るし、関わろうとしている者だと見なしてよい。

 幽霊の多くは姿を見せず、「声だけ」のことが多い。

 

 暑い盛りはせいぜいこの程度なので、割とゆっくり眠れる。

 これが秋になると、夜通し「おおお」と唸る声や、ぶつぶつと悔やみごとを呟く声が聞こえる。さらに、時折、枕元に来て「助けて」と叫ばれてしまう。