日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「暗黒面」には落ちず(511) 

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令和二年六月二十九日 撮影

◎「暗黒面」には落ちず(511) 

 コロナ禍が日本に伝播したのが一月。それ以降、職種によっては甚大な影響を受けているが、私もその一人。

 このままでは程なく破産してしまう。

 神社に参拝する途中で、あれこれ考えさせられた。

 私の場合、ツキを左右してくれる「何か」に、何かしらを「約束」してしまえば、現世利益を放り込んでくれる。

 万馬券を事前に教えてくれることもあれば、「どれに投資しろ」と示唆してくれることもある。

 もちろん、ヤクザと同じで、いざ「借り」を作ると必ず返さなくてはならなくなる。大体は、その「何か」が求めることを替わって行う、みたいな返し方だ。

 この借りは返さない限りチャラにしてくれず、死んだ後もそれは続く。

 努力なしで得られる幸運には、それなりのからくりがある。

 

 しかし、現世(界)で破産するのは嫌だ。

 「それなら、死後に影響を受けない範囲で、『少々、協力する』ってのはどうか」

 ひとの生き死にに関わらないような範囲で、「何か」の意に沿うような悪意・悪縁を「別の誰か」に渡す。そんなやり方だ。

 「今の状況なら、それも考える必要がある」

 邪な「何か」に頼むと、努力や才能無しにお金がぼんぼん放り込まれる。

 

 みたいなことを考えつつ運転していたが、ここでふと先日の夢のことを思い出した。

 娘を取り戻して、本来の自分を回復する父親の話だ。

 「挫折した男が再起するストーリーにすれば、ひとに伝える意味はある」

 たった一人でなら「この夜を越すのも苦しい」と思うわけだが、しかし、二人でなら生きて行ける。

 ドラマに仕立てるのではなく、現実に起きそうな状況を、淡々と記すのが良さそう。

 すると、夢の内容を記したメモには書かなかったエピソードを幾つか思い出した。

 「そして結末は、必ず娘の笑顔で終わる」

 思い出す度に涙がこぼれる。

 

 駐車場に車を入れ、歩き出した時には、既に心が晴れていた。

 そこで我に返る。

 「危ない危ない。もう少しで暗黒面に落ちるところだった」(笑)。

 一番簡単なのは、「あの世」関係の研究者なり祈祷師なりのふりをして、世間をだまくらかす路線だ。

 宗教家や自称霊能者のところに行き、写真を撮ってやれば、肩口に色々写るだろうから、そういうのを利用すれば簡単に騙せる。何せそういう仕事の祈祷料やお布施の額は結構な額だ。

 なぜ宗教家や自称霊能者かと言うと、最も「寄り憑かれやすい」立場だから、ということだ。他人のことはあれこれ言うが、自身の背後に立たれているのを気付いているかどうか。

 ま、もちろん、そんなことはしない。

 「あの世」に何がいるかを十分に見て来たので、当たり前だ。

 そんなことをしたら、どれほどのツケを払うことになるのかは見当もつかない。

 

 「やはり帝国軍に入るのはやめときます」

 これでよい。

 心の弱い者は、「友だち」を増やしたり、他人に評価されたりするのを喜び、強く求めるそうだ。実際、他人の評価を頼りに生きる者もいる。

 くだらない。他人がどう褒めてくれたか、ではなく、「自分がどう生きるべきか」が一義だろ。

 

 「そうなると、俺の心はけして弱くないってこと」

 生きて行くうえで、色んな困難が起きるのは当たり前のことだ。安易に「誰か」や「何か」にすがったりすれば、魂を削るか、売り渡す羽目に陥る。

 今後も死者のご供養はするが、手助けはしない。これで十分だ。

 この先のことだって、どうにかなるさ。