日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「取り置き箱から」

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取り置き箱から

◎古貨幣迷宮事件簿 「取り置き箱から」

 知人にプレゼントすべく「取り置き箱」を開くと、あれこれ「要検討」品が入っていた。上げ始めるときりがないので、手元の品を少々眺めることにする。

 イ)型の縮小

 以前、「この銭は何ミリ縮小しているが、銅の縮小率が※パーセントだから、▲回ほど鋳写している」のような記述を見たことがある。

 銭径については、「大きい」「小さい」を記述することが出来るが、それをもって何かを説明することは不適切である。

 鋳造貨幣のサイズが縮小する要因には、「金属が冷えて固まる時に縮む」ということの他に「型自体が縮小する」というものがあるからだ。

 砂型は最も「型の縮小を避けられる手法」だが、それえも作り方によって差が生じる。粘土型や石膏型になると、ゆっくりと時間を掛けて乾燥させぬと、型が著しく縮小してしまう。

 ここで終わると「ただの話」で憶測だから、実際に粘土型、石膏型で中央z貨幣を摸鋳してみた。

 永楽銭の通用銭で型を取り、これに溶銀を流し込んで、永楽銀銭を作ってみた。

 銀を使うのは、銅より金属の縮小率が小さく、この要因による効果を下げられるからになる。

 粘土型は乾燥の途中で割れてしまったので、石膏型のみで行ったが、型の乾燥が不十分で、著しく縮小してしまった。

 イ)図はそのようにして作成した永楽銀銭だが、一回の鋳写し作業でここまで小さく変貌した。すなわち、「何ミリだから」など何の意味もないことが分かる。

 ちなみに、既に雑銭も処分済みで手元には永楽銭が無かったので、同じくらいのサイズの背文銭を隣に置いた。

 

 ここで念頭に置いていたのは、目寛見寛座の鋳銭だ。ごく少数の原母らしきものはあるが、そこから汎用母に至る中間段階の品が見当たらない。いきなりあのサイズまで縮小しているわけである。

 ここで考えられるのは、鋳砂の質が劣っている条件で、肌の滑らかな母銭を作成するためには、粘土型を使うしか方法がなかったのではないかということだ。

 もちろん、正しい鋳砂もあっただろうが、量的に少ない。母銭は一度に数千枚は作るから、陶范手法では埒が明かない。そこで「眼を瞑って」粘土型にしたのではあるまいか。

 文字が変形するほど銭径が縮小し、厚さは逆に増すのは、粘土の性質によりよく合致している。実証されたわけではないが、検討すべきだと思う。

 

ロ)母銭形成法 (片面だけの寛永銭)

 雑銭の中に、ごくまれに片面だけの品が混じっていることがある。

 表側のみ、あるいは裏側のみの品である。

 鉄銭などの母銭改造が目的なら、穿内と輪の加工だけで済む。

 銅材の削り取りが目的なら、外周を削り取る。

 また別の理由には、「貼り合わせるため」というものが考えられる。

 銅銭の母銭を作る手法のひとつに、「表裏を一端削り落として、削字を施すことによりきれいな型を作る」ものがあるが、表、裏の各々を加工して貼り合わせた方が簡便である。

 手順は、まず片面をすっぱり削り落とし、安定させたうえで、反対側を軽く削り、修正を加える。両面について同じことをしたら、二枚を貼り合わせる、というものである。

 現物の「貼り合わせ母銭」をみちのくのどなたかが所有して居られたと思うが、今はどこにあるのだろうか。

 ま、この品については、あまり上手く行かなかったので、放り棄てたようだ。

 

 隣は白銅質の密鋳銭。こういう見すぼらしい参考品もあるが、割とリアリティがある。一枚では寂しいので隣に並べただけ。