




◎彼岸花
今年はコロナの影響で催事が取りやめになりがちだが、巾着田の彼岸花もその例に漏れず、開催が無い。
例年、この時期は前の道路を通過するのにひと苦労するのだが(渋滞で)、今年はすんなり通れる。
彼岸なのに墓参りにも行けず、彼岸花も観られないとなると、季節感が感じられぬまま、すぐに秋が終わりそう。
ところで、ここ何日かは「あの世」からの働き掛けを感じなくなっているので、すこぶる過ごしやすい。
「普通の人はこうなんだよな」と逆に納得した(苦笑)。
毎日がこうなら、「死ぬこと」も「死後の振る舞い方」のこともあまり考えずに暮らせる。少なくとも死ぬ直前までの間は、ということだが。
見えなくとも、触れなくとも、「空気」は存在している。それと同じ。
少し前に妖怪顔の悪霊(アモン)が傍から消えていたが、数日前に戻って来た。
このアモンは「この世に祟りの雨を降らせる」と言っているから、今はただの小休止ということだろう。
ちなみに、妖怪顔は文字で書くと「アモン」だが、発音は「※(ウ)モン」に近いようだ。
宗教上(キリスト教?)の「悪魔アモン」とは、まったく関係がない。名前が似ているだけ。
「生者が▲※□に敬意を払わなくなっているので、怒りを示す」そうだ。
「▲※□」はよく分からないが、「魂」とか「精神」「霊」に近い言葉だ。時々、「死者に敬意を払え」と言われて来たが、「死者」ではなくこの「▲※□」のようだ。
あの世の言葉は発音できない音が多い。まるで古代語のよう。
夢に出て来ることがあるが、ひと言も分からないことがある。ただ、言わんとすることは、何となく伝わる。
こういうのは、もちろん、あくまで「想像や妄想」の範疇なのだが、当人にははっきりと声で聞こえる。
まともに捉えると、自分の「頭がおかしいのではないか」と思うところだが、「えてしてそんなもん」と流すと平気になる。
「ア(ウ)モン」は実体として存在しているから、ひと度、甘く見ると、後が怖ろしい。小説や映画では「祟り」は主人公の死で終わるが、実際には、当人が死んでも終わらず、延々と続く。
いずれコイツははっきりと正体を露にすると思う。
画像は数年前の彼岸花。今年は手入れをしていないらしいから、自生したのが疎らに生えているだけだろう。
追記)先ほど、巾着田の近くまで行ったが、大渋滞だった。迂回したので理由は不明。