日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ただひたすら感謝(536)

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令和二年十月十九日撮影

◎ただひたすら感謝(536)

 昨夜、蕎麦を作ったのだが、どうしても「かつて祖母が作ってくれたあの蕎麦汁」には及ばない。色々と考えさせられたが、やはり出汁の採り方だ。

 祖母は煮干し・昆布ラインに干し椎茸や野菜出汁を合わせて下味を作っていた。

結局は干し椎茸を戻して・・・という手順を省略していたりするからで、何事もきちんと手順を踏む必要があるようだ。

 

 小学生の私は、宴会の最後に振る舞われる祖母の蕎麦が食べたくて、眠い目を擦りつつ、九時頃まで起きていた。

 蕎麦が出ると「もうお開き」の合図だから、これをささっと食べると客たちが帰り支度をする。祖母の蕎麦はかなり美味く、皆がお代わりをするので、人数より多めに作る。

 それが残るので、私は三杯目の蕎麦をお代わりして食べた。

 少し温めの方が出汁の味がして美味かった。

 

 「あの父と母、そしてあの祖父母が、俺の父母や祖父母で本当によかった」

 なら、きちんとお礼を言わねば。

 そこで、所用を済ませた後で神社に参拝することにした。

 

 たまたまこの日は神事があったらしく、参拝客がかなり来ていた。

 境内に入ると、ちょうど神職が神殿から出て来るところだ。

 おそらく神器を捧げ持っているのだろう。境内を練り歩き、別棟の前まで進む。

 そこで儀式を執り行う。

 

 ここで私は神殿に向かい、父母や祖父母への感謝の気持ちを伝えた。

 これが一般人の正しい祈願のやり方になる。

 

 いつもは神殿の前でガラスに映る自身の姿を確かめるのだが、この日は窓が開いていた。

それなら「通り」が一層よくなると考え、二枚ほど撮影した。

神さまは撮影しても、けして不敬だとは言わず、むしろ喜ぶものだ。通り道を塞いではいけないが、撮影し、画像を家に持ち帰るのは構わない。 

 

 駐車場で開いてみると、一枚目には煙玉が出ている。

 「次の画像にも出ていれば自然現象だが、消えていれば別の理由からだ」

 開いてみると、次の画像では消えていた。

 左側のは私由来のものだろう。これは概ねどこででも出る。

 場所を選ばぬということは、「私が連れている」という意味だ。

 右側のはここのもの。

 発生から消滅までが0.3秒から0.5秒で、これは拡散して消える直前のものだ。

 最初は割合はっきりしているが、すぐに広がって薄く変じる。

 

 ところで、最近、あのトラが近くにいるのではないかと思う時がある。

 一年がかりで、ようやく私の家にも来られるようになったようだ。

 居間の窓の外に座っているという気配があったりするから、時々、窓を開け中に入れてやる。

 車に乗る時も、猫が乗れるようにひと呼吸置いてから扉を閉める。

 妄想と言えば妄想なのだが、割と気持ちが休まる。