◎「生きてたのか」
秋口から冬の間は、心臓の調子が落ち、あまり動けなくなる。
狭心症や心不全を発症する過程については、既に熟知しているので、予兆が来た時点で動くのを止めその場にじっとしている。
罹病歴があれば「これが心不全の予兆だ」と分かるので、「車を運転中に意識を失う」みたいなことは起きない。すぐに車を停めて、様子を見る。
運転中にドライバーが意識不明になったり、死んだりするのは、運転が仕事で、不調を感じても止めることが出来ないからだろう。
中高年になると、最初の発症がいきなり心不全だったりするから、予兆前兆の類は知らぬままあの世に旅立つことになる。
今日は終日調子が悪かったが、十分に体が重くなっていたので、今の床に横になった。
居間には自分のスペースがあり、そこに毛布やら寝袋やらを常備している。震災以後の習慣でそうなった。
体を休めようとした、その次の瞬間には、もはや意識が無い。
「ふっつり」という表現があるがまさにそういう感じだ。
眼が覚めたのは午前三時で、瞼を開いた瞬間に「俺はまだ生きてたのか」と思った。
たぶん、心不全で死ぬ時はこういう感じのまま、意識が戻らずあの世に向かう。
自身が死んだことすら分からないかもしれない。
ここのところ、あれこれ考えさせられる案件が続いていたが、やはり徐々に「調子落ち」するわけだ。
ふと思いついて、先日の写真を再点検すると、しっかり真後ろに「女」が貼り付いていた。
やはり神社の境内周辺には、色んなものが集まって来るから、怒りなど悪心を抱えたまま入ってしまうと、ワンサカ寄って来る。
そして、様々な悪影響をもたらす。
ま、こういうのは、今更嘆いても仕方がないので、「そんなもんだ」と思うしかない。
その時観ていた最後の夢は、自身の過去に関するものだ。
若い頃に、難民キャンプで働いたことがあるが、キャンプからボランティアの住むホームまでは2キロくらいあり、そこを歩くか、バイクの後ろに乗せて貰って通った。
途中に大きなプラントの工事現場があり、その前を通る時に、ガードマンたちとあれこれ身振り手振りを交え話をした。一人とは割と仲良くなった。
ある日、どういうわけか、いつも通る道ではなく、別の道を通って帰った。
さしたる理由はない。ただ「何となく」だ。
ところが、普段ならその工事現場を通る時間帯に、強盗団と警察の銃撃戦が起こり、その巻き添えを食って、一番仲の良かったガードマンが射殺されてしまった。
まだ二十代の半ばだったから、本当に可哀相。結婚したての奥さんと小さい子供もいた。
その時は、ただ「気の毒だ」と思うだけだったが、後になりよく考えてみると、「いつも通り同じ道を通って帰っていたなら、自分も巻き添えになっていた可能性が高い」ことに気が付いた。
そのガードマンと当方は「紙一重」の差だったが、ガードマンの方は仕事だから、「何となく虫が報せた」という理由では、その場を離れることが出来なかっただろう。