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◎一年前の振り返り 「新年早々に見つかっていた」
画像を整理していて、初めて気が付いた。
昨年の初詣の際の画像なのだが、神殿の前には祭壇があるし、また参拝客が多かったので正面から撮影するのは無理だった。
そこで列に並び、自身の順番が来た時に、急いで数枚だけ撮影した。
その頃は気付かなかったが、改めて開いてみると、何となく違和感を覚える。
この辺、私はもはや一年前とは同じ状態ではなくなっているようだ。
違和感の原因は最後の画像だった。
画像の隅に、女性が眼を剥きだしてこっちを見ている様子が写っている。
人混みがあるところには「あの世の者」が寄り付くのだが、そこで私を発見したのだろうか。
これが普通の参拝客でないことは、この表情が物語っている。
さすがにウンザリするのは、こういうのはもはや「日常」になってしまったことだ。眼に映る出来事が、「この世」の現象なのか、「あの世」の現象なのか、はたまた「単なる妄想」なのか、区別がつかなくなって行く。