日刊早坂ノボル新聞

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◎メディアの作る嘘  森会長の「女性差別発言」

◎メディアの作る嘘  森会長の「女性差別発言」

 結論を先に書くが、森さんを辞めさせて一体何が生まれるのか?

 大体、今そのポストを引き受ける者がいるのかどうか。

 あと数か月で「五輪開催の是非」に関する最終決定がなされる。

 もし「五輪を取り止める」とすると、代表者はその責を担う必要がある。

 開催して、コロナの感染爆発を招いたら、その時も代表者が責任を負う。

 

 さて、「女性」問題自体は、例によってメディアの作り話だ。

 都合の良い部分を切り取り、問題視するといういつもながらの手法による。

 全文は長いので、当該箇所を抽出すると、こうなる。ちなみに、朝日新聞の全文報道だが、この新聞社としては珍しい。いつもは切り取る方。

 

森氏発言の当該箇所

「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは、女性がたくさん入っている理事会、理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言います。ラグビー協会は倍の時間がかかる。女性がいま5人か。女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局、女性はそういう、あまり私が言うと、これはまた悪口を言ったと書かれるが、必ずしも数で増やす場合は、時間も規制しないとなかなか終わらないと困る。そんなこともあります。

私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです。

長くなって恐縮です。山下さんが、私に最初にあいさつしろと。こう言うもんですから。私は長くなるよ、と。議事進行にご迷惑になるからと。というよりは私の立場を考えて、何か先にしないと失礼になると事務局は考えたと思う。そういう考えは無用です。ここに来れば、みんな同じなんです。ですから、そういう意味で、誰か偉い人が来たら、すぐさせるとか。特にそういうのは会議の途中でありますから「ただいま、何とか大臣が見えましたので、ごあいさつを」というのがあります。あれ1番、良くないですね。そんなつもりで来てるんじゃない」 引用ここまで。

 

これが「女性差別」なの?

 さて、この発言の一体どこが女性差別にあたるのか?

 私にはこう読める。ちなみに、これは自慢でも上から目線でもなく、前後の文章を読めば誰でもこう読める筈だ。

1)ラグビー協会の理事会に「話がやたら長い」女性理事が一人(か二人)いて、この人の話を聞くために会議の時間が二倍かかる。

2)形式にとらわれて、儀礼的なしきたりに従うと、余分な時間を消費する。

  要するに女性を差別しているのではなく、「会議の長さ」に関するものだ。

 とりわけ、「この理事個人」の長話にクレームをつける内容だ。特定の女性理事を批判し、振る舞いを改めて欲しいのだが、個人攻撃になるのは避けたいから「女性」と表現した。ま、そういう配慮(?)が間違いだ。(突然だったとはいえ、公の場所でつい個人を批判する内容を口にしたのがそもそもの間違いだったわけだが。)

 こんなことは新聞社も分かっていることだが、これを「利用できる」と踏んでシナリオをを作った。

 事実はたったこれだけだ。

 

 ただ、報道されると、情報が独り歩きするから、どんどん話がねじ曲がって行く。

 コメンテイターやタレントは、世間に迎合する「つまらない意見」を並べる。

 人権論者は「これ幸い」と非難の大合唱だ。

 

波及効果

 その結果、生じる事態がこれ。

 森会長は、「女性」全般を差別するつもりなどなく、「この人」に不満を持っていただけ。主旨が違うので、頭を下げるのもおざなりになる。で、火に油を注ぐ。

 実際、単に「(男女問わず)話の長い人がいて」と表現すれば事足りるし問題も無かった。ゆえに「配慮が足りない」のは事実だろう。

 

 メディアは「作り話」まがいの報道をすることで、いっそう信頼を失う。メディア人が尊敬されたのは、もはや昔の話で、今はクズの業界だ。

 

 評論家やタレントは世間に迎合するようなことしか言わない。受けることしか考えぬことがすぐにわかるし、発言の前後の文脈を調べることもしていない。

 

 外国を含め女性・人権論者は、ねじ曲がった報道の一部の表現を取り上げ、森氏批判の大合唱をする。これで、その人たちが見識も無く、事実を調べることもしない人だということが露見する。

 

 野党なんかも、これを政権批判に結び付けたいところだろうが、もしその方向に向かうと、さらに「ダメっぷり」が明らかになる。そうでなくとも、昨年来の「文化人会議」「桜」と来て、「総理の息子」とか、コロナ下では「どーでも良い話」ばかり持ち出して来たのに、これがダメ押し。

 

 要するに、これに関わる者総てにとって、「マイナスに働く案件」だということだ。

 隣国と同じで、「関われば関わるほど損をする」。単に不快さが際立つだけ。

 

 森氏が個人への批判を公に口にしたのは軽率だったが、口が軽いのは昔からの性癖だ。突然、挨拶を求められたららしいから、それならせいぜい400字か800字にしとけ。

 

 さて、メディアを含め、森氏に「辞めろ」という者がいるが、それで何が生まれるのか。

 今はコロナに打ちのめされている状況下にあるから、「どのようにやるか」ではなく、「何を」やるかの方が重要だ。

 船が沈みかかっている時に、「浮き輪」をきれいなものに取り換えても、何も変わらない。まずは何事も今の局面を乗り切ってからの話だ。

 「浮き輪」は「船長」でも同じ。もはや岸壁は目の前で、衝突が見えている

 森氏には五輪開催の責任を取って貰うはずなのに、ここで辞められれば他が本当に迷惑する。

 

 こんなことより、コロナ流行の中途・以後の生活保障、社会保障の今後について議論すべきだ。こんなことや「総理の息子がドータラ」という話に時間を遣うことほど愚かしいことはない。

 

 もし自分が森氏なら、「その女性理事に、直接、『あんたは話が長すぎる』と伝える」と思う。それなら余計な問題が生じないわけだが、しかし、その当人からは死ぬほど恨まれる(笑)。

 逆に、その女性理事が「いやあ、あの話は実は私が原因です。森さんは女性を差別したのではなく、私について問題視されたのです。大変すいませんでした」と言い出せば、この件は簡単に収束するし、それこそ「女を上げる」ことになる。

 そして、自分を非難する相手(森氏)に対し、「大きな貸しを作る」ことが出来る。

 私なら、さらにメディアの批判が高まった頃に「謝罪会見」を開く。ここは「実は犯人は私です」と横入りでOKだ。その方が効く。助け舟はぎりぎりで出す方が効果がある。

  

 こんな話はさっさとスル-しろ。関われば関わるほど皆が損をする話だ。

 メディアがこれを引っ張れば引っ張るほど、自身が「クズ」だってことが明らかになるから、メディアの評価基準にはなりそうだ。