◎「黒い女」について (568日目の補足)
ひと晩考えさせられたが、昨日の人影は「黒いひと」「黒い女」のバリエーションだろうと思う。
全身から放射状に黒い筋が出ているので、動作により像がブレたものでないことは一目瞭然だ。特に二枚目は分かりよい。
ただ、通常、「黒いひと」や「黒い女」は「人間臭さ」がまるで感じられぬような、無味無臭の存在なのだが、昨日の「女」は幾らか人間に近いようだ。
「黒いひと」「黒い女」は過去にも幾度か画像に捉えているので、幾つかを例示する。
昨日も記したが、「黒いひと(や女)」は目視で幽霊を見る時に最も近い見え方をしている。(日頃、すぐ近くで目撃しているのは、これまで記して来たとおりだ。)
少しヒヤッとさせられたのは、「黒いひと(または女)」は人の生き死にに関わるところに集まる傾向があることだ。
交通事故の起きやすい交差点や、駅のホームにも時々立っている。
そういうのを見たくないし、時々、あとをついて来られるので、私は都心にも駅にもなるべく行かぬようにしている。
ただ幾らか「役に立つ」面もある。
「人の生き死にに関わるところに出没しやすいところ」については、将来、すなわち「これから起きる」ところも含まれる。
「黒いひと」「黒い女」が出没する場所は、「過去に何かが起きた」か、「これから起きる」という意味があるということだ。
自動車が飛び込んで来るかもしれぬし、ビルの上から物やあるいは人が落ちて来るかもしれない。
それなら、黒い人影が見える地点には極力近づかないようにすることで、難を避けられる可能性がある。
よく「虫の知らせ」という表現が使われるが、こういうのは、実際には「眼に見えにくい何か」を見ており、それに対して「不安感を覚える」ということなのかもしれない。
以上は「見える」ことが役立つこともあるという一例だが、もちろん、それも程度次第だ。
いつも記すとおり、私は台所のカウンターの陰に立つ「女」を頻繁に見ている。
そこにいる筈がない人影を見るのは、あまり気持ちのよいものではない。
昨夜は「手の届きそうな距離」に「女」が立っていたので、結局、ひと晩中起きていた。
これが私自身の「生き死に関わる場面」を見に来たものではないことを祈りたい。
今日の教訓は、「もしこの『黒いひと』の姿を目撃したら、とりあえずその場を離れろ」ということだ。取り越し苦労であればそもそも問題ないが、もしかすると「そこで何かが起きる」かもしれない。