◎夢の話 第963夜 ショルダーバッグ
二十二日の午前四時に観た夢です。
重松千根子は七十台の老人で、マンションで一人暮らしをしている。
夫は既に他界し、子や孫はいない。
千根子の印象深い点は「いつも大きなショルダーバッグを抱えていた」ことだ。
黒いバッグをいつも肩に掛けている。足が悪いのか、いつも杖を着いていた。
老人の持ち物としてはかなり重そうだから、どうしても人の目を引いた。
本人も重量を感じているようで、買い物が多くなると、必ずタクシーで家に帰る。
周囲の人は「きっと大切な物が入っているのだ」と噂をした。
「認知症の老人がよくやるように、多額の現金を持ち歩いているのかも」
この千根子の評判がさらに世間に知られるようになったのは、「事件」が起きたことが原因だ。
千根子のマンションの入り口の脇には交番があったから、この付近にいる分には安全なのだが、外出すると、様々な危険が寄って来る。
ある時、千根子が道を歩いていると、二人組の若者が近づいて来た
若者たちは、千根子を一瞥すると、互いに顔を見合わせて示し合わせるように頷く。
一旦、千根子をやり過ごすと、足を翻して後を付けた。
バッグを奪い取ろうと考えたのだ。
だが、千根子はそのバッグをはすに掛けていたから、ひったくることが出来ない。
二人組は、人気のない場所まで千根子を追うと、ビルの合間に差し掛かったところで、千根子を呼び止めた。
「ババア。死にたくなかったらその鞄を寄こせ」
だが、若者たちの望みは叶えられなかった。
脅された千根子の背筋がすうっと伸びると、掴み掛かろうとした若者たちを杖で強かに打ち据えたのだった。
二人は瞬く間に額を割られ、そこから血の筋がたらたらと流れ落ちた。
千根子は剣道の達人で、全国大会で優勝した経験がある。
父親が剣道家で、その影響で幼い頃から剣道の修練を積んでいたのだ。
だが、千根子にとって不幸だったのは、その場面をビデオに撮っている者がいたことだ。
強盗に遭う場面をたまたま目にした見物人の一人がすぐにスマホで撮影を始め、その日のうちに※※チューブに流した。そして、それは瞬く間に拡散し、さらにこの事件の報道が流れると、何百万回も再生されるようになった。
よせばいいのに、警察は事件の詳細を公表した。
「犯人は千根子さんが多額の現金を持ち歩いていると睨んで・・・」
このため、千根子に一層、他人の目が向けられるようになった。とりわけ悪人共には魅力的な話だ。
「バッグに全財産を入れて持ち歩いている老人」なら、条件として申し分ない。
だが、千根子は剣道の達人だし、マンションには交番がある。
狙えるのは、千根子が外出した時で、しかも人目の少ない場所に限られる。また、杖をどうにかする必要もあった。
このことから、千根子の後ろには、必ず人が付き従うようになった。
どこに行くにも、十㍍くらい後ろを誰かがついて来る。
そして、ある日、その事件が起きた。正確にはそれは「事故」だ。
住宅街の外れには田圃や畑の間を通る農道があったのだが、駅に行くにはそこを通るのが近道だった。
千根子は足があまり良くないから、駅に向かう時にその道を通る。
たまたま所用で電車に乗ることになり、千根子は一人でその道を歩いた。
後ろから車が近づくと、急にスピードを上げ、千根子を跳ね飛ばした。
こうすれば、杖で打たれることも無いから、強盗犯たちが狙って起こした事故だった。
だが、今回も強盗犯たちの望みは叶えられなかった。
千根子があまりにも有名になったので、後をつける人がh塾数出ていたが、その中に私服の警察官も混じっていたのだった。
犯人は即座に現行犯逮捕され、千根子は救急車で病院に運ばれた。
ここで場面は病院に切り替わる。
看護師の桐山清美(四十三歳)は、救急隊により運ばれて来た重松千根子を見て、少し驚いた。
現金を抱え、強盗から狙われる老女のことが、散々ネットで流されていたから、清美もすぐにその人だと分かった。
千根子は脳内に血種が出来ていたから、すぐに手術を受けたのだが、経過はあまり良くない。
この病院は郊外にある小さな救急病院だったから、ICUは無く、千根子は個室に入れられた。
おそらくこの夜がヤマで、医師はたぶん、「持たない」と看護師たちに話した。
清美は千根子を病室に運び、そこでもう一度驚いた。
千根子の持ち物のあのバッグが、清美のものと同じ鞄会社のものだったからだ。
「私のと同じものだわ」
病室の扉を閉め、ナースステーションに戻る時、清美の頭に響いていたのは、報道のアナウンスだった。
「犯人たちは重松千根子さんが多額の現金を持ち歩いていると疑い・・・」
考える度に、あのバッグに一杯の現金が浮かんで来る。
小さな病院だから、夜勤の看護師は数人だった。
医師も一人いたが、少し離れた別室にいる。
重松千根子は夜半に亡くなった。
清美は千根子を清拭すると、患者着を着せて、個室のベッドに安置させた。
深夜になり、若手看護師が休憩のためナースステーションを去ると、清美は更衣室に行き、自身の鞄を持ち出した。それと分かる私物を除き、重松千根子の病室に向かう。
ベッドの下には千根子のバッグが置いてあったから、これを自分のものと取り換え、すぐに更衣室に戻った。
誰もいない更衣室で、清美はすぐにバッグを開いてみた。
すると、バッグの中にあったのは、男性の古着や写真、そしてお骨だった。現金はない。
重松千根子は、早くに亡くなった息子の遺品を片時も話さずに持ち歩いていたのだ。
これを見て、清美は激しく後悔した。清美も娘と二人暮らしで、娘のことを大切にしていたのだ。
清美が千根子の鞄を奪おうと考えたのは、「娘に少しでも良い目を見させてあげたい」と思ったからだった。
清美は「これは返そう」と清美は思い直した。そもそも、奪うべき現金はこの中にない。
清美が病室に向かうと、中に男が居た。
それは、重松千根子が狙われやすいと見て、後ろで見守っていた警官だった。
その男が救急車を呼び、犯人を逮捕したのだが、夜半になり気になったので、千根子のいる病院を訪れたのだ。
男は清美を一瞥して、即座に鞄に目を留めた。
「それは何ですか?」
清美は咄嗟に「これは重松さんのものです」と嘘を吐いた。
だが、警官はすぐに返した。
「それはおかしいですね。だって、ほらここに、もう一つ重松千根子さんのバッグが置いてあります」
ここで覚醒。
夢の中での私は、終始、傍観者の立ち位置だった。
この夢では、私は無感動に状況を眺める「死神」なのだった。