日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「日銀銘の貨幣袋」

日銀銘の貨幣袋

◎古貨幣迷宮事件簿 「日銀銘の貨幣袋」 

 部屋の中がかなり片付いて来たが、整理に回す途中で手を止めて考えるから、やはりなかなか先に進まない。ま、別に業者でも、あるいは会を主催する立場でもないので、相手関係を考える必要もないのは気楽で良い。

 ウェブ古銭会の頃は、会費の無いサイトなのに、何故か一方的にサービスを要求して来る者が多数いた。こちらは公共機関でもなければ、ビジネスでやっているわけでもないから、思わず「それで貴下にご奉仕したとして、こちらに何のメリットが?」と言葉が喉まで出かかったものだ。今は個人の日記の範疇なので、義務的なものは負わずともよく気が楽だ。「気に入らぬなら来ないでね」と言える。

 そもそも、生来、偏屈な方でもある。

 

 さて、掲示の品は「日銀」銘の貨幣袋だ。どこから入手したのかは忘れた。

 金融機関の依頼を複数受けたことがあるから、そのルートかもしれぬし、Oさん経由かもしれぬ。この手の品はコレクターが興味を持たぬものなので、既に記録が無い。

 いくつかの集まりで「話の種」として、回覧に供したことがあるが、誰一人言葉を発する人がいなかった。「ふうん」と思うだけらしい。

 だが、この手のは貨幣流通の一端を示すものだからすごく面白い。

 とりあえず、これが実際に金融機関で使用された本物の貨幣袋として、最初に疑問に思うのは、「何時頃のものか」「どういう貨幣を入れたか」ということだ。

 日本銀行は明治の初めに出来ており、貨幣の流通には現在までずっと関わって来たから、時代範囲が長い。貨幣の製造自体は造幣局が行うわけだが、それを実際に国内に回すのは日本銀行だ。年次の記載がなく、ここは推測に頼らざるを得ない。

 

 現在の日銀が行う「現金の受け払い」に際しては、硬貨の袋は概ね「4千枚単位」だったように記憶している。(先ほど「日本銀行が行う現金受け払いに関する細則」で調べたら、現金受け払い用の「大袋」に入れる枚数は、五百円貨で二千枚、百円以下が四千枚だった。)

 紙ロールなら五十枚が一本だから、それが計80本ということになる。容積で言えばショルダーバッグの半分くらいかと思う。

 そうなると、「一千円」を入れる貨幣の金種は果たして何だったか。

 例えば、

●「一円銀貨」なら一千枚で、袋のサイズ的に不可能だ。

●「竜五十銭銀貨」なら二千枚で、これも入り切らない。

●「小型五十銭銀貨」や戦後の「一円黄銅貨」や「五十銭黄銅貨」であれば、二千枚入りそうだ。

 袋の右上に何かしらの記述があるが、これが「銀貨※※」なら小型五十銭だが、「明治※※」なら、さらに旭日五十銭銀貨(画像には無し)となるが、これも枚数的に難しい。銀貨であれば、やはりせいぜい小型だろう。

 

 面白いのは、袋の意匠に大判が採用されていることだ。現在の日銀配給の貨幣袋の名称が「大袋」となっており、恐らく何か関連(もしくは伝統)が関わっているのだろう。

 日銀の資料によると、受け払いの単位は大袋ごと扱いで、例えば、十万円金貨であれば、30g貨で三百枚、20g貨で五百枚の取引単位となっている。

 最初に十万円貨が発行された際には、全国銀行に払い出しの際に、ひと袋三千万円の大袋が現金輸送車で行ったり来たりしていたことになる。

 皆が初めてで勝手が分からず、そのどさくさに紛れて強奪しようとする犯罪小説が出来そうだと思ったが、よく考えると、一万円札十枚の方が軽そうだ。強盗を働くなら、もち運びと言う点では札の方だ。だが、その後の露見のし難さから言えば、金貨の方が有利だ。金は溶かしてしまえば、形を変えられる。

 一時、偽物騒動が起きたが、結局は偽物であることを証明されず、持ち主の許に返却されたのではなかったか。

 十万円金貨の発行当時は、金の成分量より額面の方が高かったから、正直見劣りのする金貨だった。今のように二十年で金価格が三倍になるとは誰も思わなかったわけだが、あの偽物騒動の金貨をそのまま保持していれば、地金価値はとんでもないことになっている。ただし、通貨は国内では加工出来ぬから、国外に持ち出して溶かす必要があり、そうなると持ち出すのに税金がかかる。

 袋ひとつから色んな所に発想が飛ぶものだ。