◎ボトルが倒れていた(593)
台所の奥に、ペットボトルやら瓶やら買い置きの飲料を十数本置いてある。
もちろん、中身は入っている。
窓の近くなので、当方や家族が「偶然触れる」ことはない。
五輪を見ているうちに居間で眠り込んでいたのだが、夜中に何か恐ろしい夢を観た。
夢を中断した格好になったので、珍しく夢の内容を忘れてしまった。
トイレに行き、お茶を飲むまでは別に異状がなかったが、それを飲み終わりカップを台所に下げようとすると、台所の床にペットボトルが散乱していた。
わずか十分前には何も異常がなかったのに、この時には足の踏み場に困るくらいの状態だ。
ちなみに、その間、台所で何かが動いたような音はまったく聞こえていない。
昨年の例では、秋口に私と息子が居間に居たら、二人が見ている前で、テーブルからペットボトル飲料(中身入り)が突然倒れ、床に落ちたことがある。
俄かには信じがたいのだが、現実に起きた。
似たようなことがたまにあるが、もちろん、せいぜい年に一二度の話だ。
何となく、女子が駄々をこねる時の雰囲気に似ている。
「自分を見てくれ」ということかもしれん。
だが、例年よりかなり派手だ。
経験したことのない人は「そんなのはあるわけないだろ」と言うが、そういう人の気持ちも分かる。
あくまで自身の身の丈(五感や過去の経験)に合わせて判断するからだ。
こういうのが起きた当初は、著しく気が動転し、「これから何が起きるのか」と不安になったが、ある程度予測し、早く対処すれば、案外何も起きない。
と、ここまで書いて仕事部屋に向かったのだが、右の股関節が擦れて痛いこと痛いこと。
「このまま、ひばりさんみたいに股関節の骨頭が壊死したりして」
このところ体調が悪いので、良くない方へ良くない方へと考えてしまう。
すると、数日前から痛み出している左肋骨の奥の方がぐいぐい痛くなって来た。また筋膜腫?
「前に治ったと思っていたが・・・」
あれは確か、御堂観音の時だったな。
とここまで来て、気が付く。
「どうして気付いてくれないの。私よ」
そんな風に言われている気がする。
ははあん。助けてくれようとしているわけだ。
取るものもとりあえず、シャワーを浴び、外に出ることにした。
もちろん、神社に参拝しに行く。
そこはまた帰ってから記すことにする。 (中断)
◎痛みが消えてしまう (593続き)
さて、神社に参拝して家に帰ると、すぐに画像をチェックした
小雨が降っていたので、どの画像にも煙玉が出ている。と言っても、湿気による「蒸気玉」と思われる。
殆どの場合、自然現象だ。
この日は、きちんと自分で決めた手順通りに参拝することにした。
1)外鳥居の前で、一拝二柏手。ここで柏手を打つのは、私の場合、不浄の者を頻繁に拾うから。外鳥居の前には沢山いる。
2)参道は必ず左側を通る。常に左回りに動く。みたいなことだ。
さて、まだ午前中なので、神殿前で撮影しても人影が写ることはほとんどない。
実際、特別なものを見聞きすることは無かった。
画像で見ると、幾らか断片的な影が伺えるが、それは私の可視域が若干広いからだと思う。これは殆どの人には見えない。ブログ読者では3~5人くらい/300人。これは反応の仕方を眺めていれば何となく分かる。
神殿前では、「せっかく教え諭してくれようとしていたのに、それに気付かず申し訳ありませんでした。浮かばれぬものをこちらで放し、流れに乗って貰おうと思います」と祈願した。
毎日、数多くの人が参拝し、祈願する神社・寺社では、人々の念の力により霊気の流れのようなものが出来ている。まずはその流れに乗って貰えば、自然と幽界から霊界への道が開ける。
ちなみに、御神体に向かっているわけではないので、念のため。
信仰は人の心の中にあるもので、神社の中やご神体ではない。それらはあくまで方向性を示すものだ。
そもそも、私は何の宗教も信じてはおらず、強いて言えば自分なりの考えに基づく「オレ(俺)教」の信者だ。もちろん、神仏には最大限の敬意を示す。
画像では途中から、各所でかたち(景色)が歪み始めた。
これも位置が決まっているらしく、同じような場所のかたちが崩れる。この場合、「かたちが崩れる」と言うより、「光が曲がる」と表現した方が正しい。
これが顕著になるのは、私の胴体の一部だけが消え、右腕が膨れて来た頃からになる。
しばらく神殿の前にいたが、いつの間にか後ろから参拝客が一組訪れていた。
私の腕にははっきりとした変化が生じている。
おまけに、前の参拝客についても少し発見したことがあるのだが、これは公に記すべきことでは無いと思う。
ここからが本題だ。
家に帰ってからこれを書いているが、驚いたことに股関節の痛みが八分方消えていた。
歩いたり、座ったりするのには何ら支障がない。
恐らく一週間から十日で感知すると思う。
ここでハッと気づく。
数年前のあの御堂観音の時には、国道四号線を走行中に、持病の筋膜腫が痛み出した。しかし、ちょうど御堂観音の近くを通った際に、頭の中で声が響いた。
「ここに寄って泉の水を飲むと治るよ」(女児か若い女の声)
それが「どこかで休もう」と思っていた時だったので、すぐに車を国道から下ろし、神社に向かった。
その時に起きた異変については、これまで繰り返し書いて来たとおりだ。
思い出すのは、その時に画像に残った「女」のことだ。
怖ろし気な顔をしていたので、私の傍にいる「白い着物の女」と結び付けて考えることが無かったのだが、もしかすると、あの時に声を掛けたのは同じ女かもしれない。
ま、あの世(幽界)の住人は、皆が凄まじい表情をしているから、「自分の仲間ではない」と思いがちなのだが、その実、悪意を吹き込む悪縁ではない者であることもあるのかも。
その逆に、穏やかな顔つきをして優し気な振る舞いを示す者は、ほぼ悪縁だ。人間でも詐欺師がコワモテなら商売にならないのと同じ。
身体の痛みがグイグイ消えて行く。
「心臓と腎臓(肝腎)は治せない」と言われたが、たぶん、このところ急に肥大した心臓も、程なく縮小するだろうと思う。
今はこれを書いている本人が一番驚いている。