日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎紙カップの水

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枕元に水

カップの水

 大腿の痛みの原因が分からぬので、ひとまず病院のベッドの枕元に水を置いた。

 お供え用の茶碗にしたいところだが、それでは周囲の者が不審に思う。

 普段は「あの世」系の話など口頭では一切しないから、きっと「これは何?」と説明を求められる。

 

 これが面倒なので、病棟にあるもので間に合わせることにした。

 そもそも、心と言葉があれば、カップだろうが茶碗だろうが、あまり関係がない。

 病気は、体から生じることもあれば、心を源にすることもある。そして、幾らか「あの世」にも関わっているものもある。

 「原因が分からない」事態になり、初めて三番目の病院を疑うことになる。

 ま、既に「あのバーサン」に気付いているわけなので、見当はつく。

 

 こういう処理に慣れて来ると、サクッと病気が治ったりする。

 私は年中、新しい腫瘍が出来、難渋させられるが、お祓いに慣れて来たので、ひと月くらいで自然治癒したりする。

 もちろん、それも「信じる」ことが身に付いてからの話だ。

 (いつも記す通り、「信じる」ことは「願う」事とは違う。)

 かたや勿論のことだが、これからCT、エコーが待っている。

 世の中には信仰に囚われるあまり「輸血を拒否する」人が現実にいるわけだが、ここは考えが偏ったりしないよう心掛ける必要がある。

 病気は原則、医療で治せ。それなら貸し借り(あの世の者との)が生じない。