日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夫婦で競馬場に行くそうだ

夫婦で競馬場に行くそうだ

 病棟のベッドで治療を受けていると、看護師(四十歳くらいの男)がやって来た。

 用件は「妻を競馬場に連れて行くが、どう扱えばよいか」というものだった。

 私はふだん、競馬の話をすることはないのだが、スマホで調教ビデオをこってり観ているので、「競馬好き」だと見て取ったらしい。

 奥さんは競馬にはまったく関心を示したことが無かったのだが、今回初めて「競馬場に連れて行って」と請われたとのこと。

 コロナの時期には入れなかったが、今は入れるから、来週か再来週、府中競馬場に連れて行くことにしたそうだ。

 

 そこでこんな答えをした。

 「俺は競馬のことはよくわからないが、女性を連れてい時におかしがちな誤りは、つい馬券勝負に熱中してしまい、女性をなおざりにしてしまうことだ」

 昔、「夜の部活」のお姉ちゃんに請われて、府中の特別席に連れて行ったことがあった。だが、良いレースがあり勝負がかって来て、ついお姉ちゃんを放り捨ててしまった。

 真剣に勝負しようとする時には、正直、お姉ちゃんは邪魔な存在になる。それで雰囲気が壊れ、その時以後、そのお姉ちゃんとの関係がそれっきりに。

 その日のテーマは「お姉ちゃんに楽しんでもらう」で徹底すれば良かった。

 要は、競馬場内を案内し、パドックから馬場入場を見て、レースでは、ゴール直前の「ドドド」という轟音に驚く。

 まずは1レースか2レースは、ただ見るだけにして、新聞での予想蘭のうち、その日きちんと当てている記者を見付けて、それを参考にするとよい。

 

 続きはこんな話。

 今の府中競馬場には、レストランはあるし、お土産物コーナーもある。カワイイ馬のぬいぐるみだって売っている。

 パドックで馬がウンチをするところを見たら、「こういうのはリラックスしている証拠だからいい状態なんだよ」とか。

 発汗が酷くて、汗が滴るほどなら、「入れ込んでいるから、まともに走れぬ可能性が高い」とか、競馬場に足を運んでいる者ならではの蘊蓄を語ればよいと思う。

 

 競馬は「墜落する飛行機の中で、座席の位置を奪い合うもの」だ。

 簡単に言えば、殆どの者が負ける(落ちて死ぬ)が、その中で配分を決め、刹那的に一部の者にプラスをもたらすことがある。

 競馬場に行く客の「アベレージ九割は負けて帰る」と言う。

 これは簡単な計算で分かる。

 まずは「客」を抽象化し、全体をひとつと見なす。

 その「客」が、1レース目から12レースまでをタネ銭総ころがしで馬券を買ったとする。

 JRAのテラ銭は26パーセント高27%だったと思うが(忘れた)、その都度タネ銭の総額が減って行く。

 便宜上、ここでは25%控除とする。

 1レースごとに幾何級数的な減少をするから、すごく減り方が大きい。

 1レース目のタネ銭総額を「1」とすると、そのレースの結果、それは0.75になっているわけだが、これが次のレースではまたその0.75に減る。

 1✕(0.75)✕(0.75)✕(0.75)・・・

 これを繰り返すと、12レースが終了した時には、約0.03まで縮小する。要は勝ち負けに関わらず、タネ銭の3パーセントしか残らない。

 これが「1割もいない」という説の根拠だ。

 よって、馬券勝負は「墜落する飛行機に乗る」ことと変わりない。

 

 だが、その飛行機の中では、熾烈な座席争奪戦が繰り広げられる。ファーストクラスなのか、ビジネスクラスなのかエコニミーなのかでは、だいぶ違いがある。

 よりよい席に座り、ふんだんなサービスを受けた後に、飛行機からパラシュートで飛び降りる。

 これが「馬券勝負に勝つ」ことの意味になる。

 

 さて、ここで冒頭の話に戻ると、馬券師にとってよりよい身の処し方は、「ファーストクラスに座り、パラシュートを背負って飛行機から飛び降りる」ことだ。

 だが。パラシュートは通常、一人ひとりが自分のものを背負う。「二人でひとつ」はよほどの熟練者でないと出来ぬ話だ。

 自分にそれが可能かを問うてみればよい。

 よって、方針は「勝負せずホストに徹する」か、「奥さんを放り捨てる」かのふたつにひとつ。

 たまに競馬場に付き合ってくれるなら、「奥さんに楽しんでもらう」ことを徹底すると、奥さんは今後も快くダンナを送り出してくれると思う。

 

 飛行機には乗る。(競馬場に行く。)

 滑走路を回っている間に、充分に機内や周辺を見た後、「離陸する前に降りる」のが無難だと思う。

 

 ちなみに、馬券の方は「ネットで調教状態を観て、そこから良さげな馬を拾う」のが筋で、「新聞は必要だろうが、予想蘭は五日くらい前に書いたものだから、当日の状態を知らないで書いている。あてにするな」と伝えた。

 話をしつつ、「あれ?俺は普段はまともな人間だな」と思った(w)。

 その正体はコテコテのゴロツキで、ゴロツキは競馬新聞の予想蘭などに目を通したりしない。新聞の予想など最終追い切りの時に書いたものだし、当たるわけがない。

 勝負事は、常に自分の眼で見て、自分なりの考えに基づき決めるものだ。

 

 たまに馬券予想師の「見立てが当たらなかった」と言って、毒づくネット読者がいるが、他人尾予想をあてにしている時点で、「お前は最初から負けている」と思う。ま、自分で調べようとせず、谷の尻馬に乗り、それが当たらなければ文句を言うのは楽な話だ。自分が怠惰で愚かであると宣言するようなもので、競馬どころか人生の各局面でも負けると思う。

 勝負事は「負けた時にケツを拭くのは自分」だと割り切ることから始まる。

 

追記)競馬と言うものの性質は関取合戦で、安定して収益が得られるのは、JRA国税庁だ。馬券を購入した時点で税金は引かれている。

 既に引かれているのに、「勝ち分に課税する」のは明らかに二重課税だし、経費控除が認められず、直接の購入代金だけだという。

 これは、あまりにもあこぎな話だ。勝つ者がいなくなってしまえば、競馬産業自体が衰退する。ただのタコ部屋だ。

 ま、役人は馬券を買うことがないから、目先の金で判断するし、物の見えない人種だ。博打好きの政治家が、「競馬場フリー」法案を作るべきだと思う。

 米国のカジノでは、1万ドルを超える換金(チップ)には課税されるが、9999ドルまではフリーだ。なら、1万ドル以下に小分けして換金すればよい話で、きちんと抜け道を作ってくれている。

 日本の競馬場も、大口換金者についての個人情報を取得する義務が無く、窓口で換金する分には、お金を得たことが分からないことになっている。昔の人は懐が広いから、事実上、「お目こぼし」だった。何故なら、馬券購入は「ほぼ寄付」でそこまでを取り上げたらいずれは暴動が起きる。

 いいずれNHKが焼き討ちされるのと同じ運命になる。

 だが、今はネットで馬券が買えるから、証拠が残るようになった。証拠があれば、制度上、課税するしかなくなる。タレントなど目に付きやすい者ならなおさらだ。