日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「ゼロ」と「1」には天と地の違いがある

「ゼロ」と「1」には天と地の違いがある
 家人は小学校で英会話を教えている。
 今年の春に赴任先の小学校が替わったが、仲良かった子どもたちは先生が別の小学校に移ったので、「裏切者」と叫んでいるそうだ。
 その前の学校で、最も家人の近くに居たのが「コーセイ君」(仮名)という悪ガキだ。四年生か五年生。
 コーセイ君は、授業中でも先生の話を聞かぬし、自分勝手にぎゃあぎゃあ騒いで、授業を壊そうとする。
 家人の授業でも同じ態度だったので、ついに家人が切れ、「授業の邪魔をする者は廊下に出て立ってなさい」と命じた。
 担任の教師がそれを見て、少なからず引き、「それはちょっと・・・」と言いかけたが、家人は頑として許さず、コーセイ君を廊下に立たせたという話だ。
 担任の教師の方は、生徒が家に帰り、親にそれを話したら、「体罰を与えた」と学校に怒鳴り込んで来ると思ったらしい。

 家人は子ども時代には、その悪ガキの代表で、女子男子を従えて散々、教師に歯向かった経験があるらしい。
 それも徹底して、一切、言うことを聞かなかった。
 教師の反対側の視点を知っているので、「押し引き」の加減が分かり、「引いてはならない」と思って突っぱねた。
 「トイレに行きたい」と申し出ても、「嘘」と直感した時には許さなかったそうだ。(旦那もこの辺はヒヤヒヤする。)
 同じようなことが重なると、「悪ガキは悪ガキ同士」で心が通じるのか、コーセイ君たちの方が家人に懐いた。
 休み時間が来ると、英会話教室にいる家人の周りに悪ガキが集まるようになった。五六人で来るのだが、全員が各クラスの「問題児」なそうだ。
 何故そうなったのかは、何となく分かる。子どもの我儘に怯まず、徹底的に排除するのは、母親の姿勢だ。母親は子どもの心を見通して、甘えを許さない。
 親心を感じたので、悪ガキ軍団も家人の言うことを聞くようになった。
 時には、家人を呼ぶのに「先生」ではなく「お母さん」と間違えることもあったらしい。

 そういう交流があった教師が学校をさることになり、悪ガキたちはもの凄く落ち込んだ、らしい。
 家人は「反動で、次の先生に逆らったりしないといいけれど」と気に留めていた。やり方が違うから、「前と違う」ことで新しい教師に逆らう。

 最近、前の学校の教員から家人に連絡があったそうだ。
 用件は「悪ガキ軍団のこと」だった。
 悪ガキ軍団は「英会話の授業だけは熱心にやり、各クラスでも出来る方だが、他の科目の勉強をまったくしない」らしい。
 それをわざわざ家人に言って来たのは、家人が悪ガキたちに「ひとつで良いから、まずは得意なものを作りなさい」と言い付けていたことによる。
 悪ガキたちはその言いつけを守り、英会話だけを勉強した。
 今の担任は「他のもやって貰わぬと困る」と、半ばクレームを言って来たのだった。

 家人はこう答えた。
 「元々、あの子たちは勉強を一切しない子たちでした。ゼロは何時まで経ってもゼロのままです。ゼロを一にするのは途方もなくエネルギーを要します。でも、最初のひとつが出来るようになると、そこから二つ目、三つ目に進むのは、それほど苦労がありません。既に最初の一を経験しているからです」
 家人は半ば自慢げにダンナに「これで間違いだった?」と訊いたが、ダンナにはどうも引っ掛かるところがあった。

 「おい、それって、俺が母さんに教えた話じゃないか」
 前に「コーセイ君たち」が何も勉強しないことを愚痴っていたので、ダンナは自分の経験を振り返って、「まずはひとつ目を作れと諭せ」と伝えた。
 具体例はダンナ(当方)の中学校での話だ。

 中学時代に、タカハシマサヨシという洟垂れ小僧がいた。
 言葉の通り、いつも洟を垂らしている昭和のガキだ。
 悪ガキではなかったが、勉強は出来ないし、やらない。
 だが、そんなマサヨシ君でも、勉強の取り柄がひとつだけあった。 
 コイツは日本史が好きで、その勉強だけはしていた。
 テストがあると、社会、それも日本史の時だけ、いつも93点くらいの点を取る。
 先生が質問をすると、その授業の時だけ、マサヨシ君が訳知り顔に答える。かなり込み入った細かい質問でも、マサヨシ君はそればかり勉強しているから、概ね知っていた。
 そこで、他の生徒が「マサヨシ君は歴史が出来る」と皆が認める存在になっていた。
 たぶん、マサヨシ君の心中では、「これなら俺も出来る」という自信があったことだろう。
 その例を出し、家人には、「まずは最初のひとつを作ることが大切だ」と説いた。
 「自分はやれる」という想いを持てば、次の二つ目、三つ目だって出来るようになる。

 「ゼロは何時まで経ってもゼロのままだが、一から二、三と進むののには、労力はさほど要らない」
 当方はこのスタンスを「タカハシマサヨシ主義」と呼んでいる。当のタカハシ君は、そんなことなど露知らぬだろうが、敬意を込めてフルネームの主義にした。 

 家人のコーセイ君たちへの指導には、まったく間違ったところがないと思う。現に家人が前の学校にいた頃にも、コーセイ君を指しても、きちんと英語で答えられるようになっていた。
 たぶん、道で外人に会っても、物おじせずに対応出来る。

 で、家人へのオチはこれ。
 「おめー。おめーが先生らしいことを言ってられるのは、このダンナがいてこそだからね」(w)
 ま、受け売りを恥じることはない。実践することがより大切で、「そんなのは受け売りに過ぎぬ」と否定するヤツは結局何もしていないことが多い。批評家はけして「当事者」にはならぬものだ。
 そもそも、前の学校の担任だって、どうして良いか分からないから、とりあえず文句を言って来ただけ。
 そんなことは自分で解決しろ。

 ここまでは、珍しく「なかなか良い話」だ。
 生き方を学ぶヒントになる。
 だが、この話にはおまけがある。

 中学校時代に、その「日本史だけできる」マサヨシ君をからかってやろうと考え、当方は試験前にそいつのところにいった。
 「じゃあ、次のテストじゃあ、競争だからな。点が高かった方が偉そうな顔をする」
 マサヨシ君はその回のテストで95点。マサヨシ君の机の近くの生徒は50点60点だから、やはり自慢げだった。
 そこで、当方はマサヨシ君のところに行き、98点の答案用紙を見せた。
 「はっはっはあ。ザマーミロ」
 次の回でも継続することにしたが、次の回にはマサヨシ君は97点くらい取ったと思う。彼なりに頑張ったのだ。もちろん、この時、当方は満点だった。

 フジサワと言う教師が歴史の教科担当だったが、「※※(当方)が一番、マサヨシが二番」だと成績を教えてくれた。
 当方は行きがかり上、マサヨシ君に負けるわけには行かぬので、ひと月前から計画的に勉強をしていたのだ。
 マサヨシ君は二度鼻を折られた格好になり、すごく落ち込んでいた。
 性格の悪い振る舞いのようで、実際、当方は意地が悪いのだが、ほれ、気が付いてみれば、両方とも「点数が上がっている」という結果になっている。
 試験の点数など形式的なことはどうでもよいが、自分なりの成果を出すためには、「道(哲学)を見出す」ことが大切だと思う。

 ひとが生きてゆくには、自分自身について「これといった取り柄を持つ」ことが必要だ。

 タカハシマサヨシ君の卒業後の様子は一切知らぬが、たぶん、きちんとした人生を送っている。建設業などに従事すれば、成功しているかもしれぬ。
 ひとが生きていくのに重要なことは「こころ」と「志」で、マサヨシ君の出発点は整っていた。

 マサヨシ君が生きているなら当方に感謝して欲しいもんだ。あの時、マサヨシ君は当方のおかげで学年で二番の成績を取れただろ(w)。

 さて、コーセイ君たちについて、家人は「あの子たちは将来、ろくな人にならないかもしれない。きっと不良の仲間になる」と言っていた時期があるが、ひとつの科目に専念するきっかけが出来、実際に出来ているなら、案外、道を踏み外さずに成長して行けると思う。もう一二年ほど、家人が見てあげられれば、なお良かったわけだが、そこはその者の持つ運命だ。

 

注記)眼疾で文字が良く読めぬので、誤変換が多々あります。推敲はしないし、校正は出来ませんので。