日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夜道をビキニで歩いたら

◎夜道をビキニで歩いたら

 前項のDJ.SODAさん事件の続き。(「九月七日夫婦問答」)

 もう一つの例え話は「夜道にビキニ」だ。

 この国では、割合、夜中でも女性が独りで道を歩けるが、外国ではそうでないところの方が多い。

 ま、日本でも、真夜中にビキニの格好で女性が道を歩いていたら、やはり危険が伴う。

 犯罪を催気させる要素が大きいということだ。

 ここで、「性器を隠していれば、どんな格好で歩こうと個人の自由」「断りなしに女性に触れるのは犯罪」と言い張ったところで、性衝動を催させる振る舞いをしているのは女性の方だ。もちろん、だから襲われてよいという話ではない。襲われる危険をあえて高めているということだ。

 そういうのは、自由ではなく放埓と言う。自由を叫ぶのは、なるべく他者との無用な摩擦を起こさぬように自制して初めて言える。前述の通り、社会生活には明文化された「法律」の他に「モラル」というものだある。

 露出の多い格好をしたいなら、人込みには入らぬことだ。

 普通は乳を揉まれたくらいではすまないこともあるが、触られた後に「欲望を押さえられぬ人が悪い」 と言い張るのはやはり違う。全然違う。

 

 秘湯を一人で訪れるのを趣味にしていた看護師さんがいたが、山の中の人気のない露天風呂に入ったところ、たまたま訪れていた男性がそれを見てしまい、結果的に強姦殺人事件に発展した。

 秘湯を訪れるのは個人の自由だが、「若い女子」が、「周囲に誰もいない露店風呂」に入っていたら、普段はそんなことを考えぬ人でもおかしくなるかもしれん。

 おまけにその看護師さんは、もの凄い美人だった。

 現実に起きた事件なので、被害者を貶めるつもりはないが、やはり無謀だったと思う。殺されてから「犯人が悪い」「犯人が憎い」と叫んだところで、失われた命は帰らない。仲間と連れ立って行くか、周囲に人のいる場所を選ぶという配慮が必要だった。

 法律の考え方で白黒線引きを付けるのは、必ずしも正しくない。モラルの基本は他の人への配慮で成り立っている。

 何事にも「他者への配慮」が大切だ。

 「私が何を着ようと私の自由でしょ」という理屈は、受け止める側の心にまったく配慮しない姿勢だ。多くの人が疑問に感じるのは、そこに「配慮の無さ」を感じるからだ。他者に配慮しないのは、そもそも相手に敬意を持っていないということ。