◎怪談 第二話 「学生寮の出来事」
九月五日から始まっていたようだ。これは浪人生時代に経験した実話を脚色なしで忠実に記録したもの。
人生で「腰を抜かした」経験が二度ある。この場合の「腰を抜かす」は比喩ではなく、実際に腰が抜けて歩けなくなる状態のことを指す。
一度目が中学生の時で、夜中に二階の自室で勉強をしていたら、窓の下に山伏が立ち、じっと上を見上げていた。
直接目にしたわけではないのだが、足音は聞こえた。
そして、それが山伏で、国道四号から道を折れて、当方の家の前まで来たことが何となく分かる。
山伏は上を見上げているのだが、見ているのは当方の心根だった。
恐怖で歩けなくなったので、這って父母の部屋まで行った。
「外に誰かいる」と父に告げると、父はばっと起きて、階段を下りた。幾度か泥棒に入られたので、恨みが多々ある。
父は玄関から外に出ようとして、ふと思い出したように、中に戻りバットを持って外に出た。
父は数分で戻って来たが、「誰もいなかった」と言った。
その数分前に、当方の体の硬直が解けていたから、当方は「山伏はもう去った」ことを悟っていた。
二度目がこの体験で、予備校の寮に入っていた時のことだ。
初年度生だったが、最初から変事が置き「おかしい」と噂になった。窓を開けると一目瞭然で、目の前が墓地。
山の斜面にあった墓地の半分を崩して建てた学生寮だった。
たぶん、墓地移転の際に供養をきちんとやらなかった。
すなわち、宗教法人が破産し、借金の方に土地を取られたということ。
夜中に、窓の外に男が立ち、ぶつぶつと後悔のような恨み言を言った。
摺りガラスの外にうっすらと顔が見える。
だが、そこに人がいる筈がない。
当方の部屋は二階で、窓には足場が無かったから、そこに誰かが立つことはないのだ。
この時も、恐怖で腰が抜けた。
声がはっきり聞こえていたし、姿も見えるが、それは絶対に存在しない筈の者だった。
やはり、這ってドアまで行き、外に出たが、出ると普通に立てるようになった。
この経験があり、夜中は朝まで寝ずに起きている習慣になった。
だが、この怪談はその幽霊のことではない。
当方は、基本的に幽霊はあまり怖くない。いつも旧盆には、仕事終わりに夜中の十一時とか十二時に、誰もいない暗い墓地に一人で墓参りに行っていた。
ま、正確には、「ほとんどの幽霊は怖くない」ではある。悪意を持ち、自分意関わろうとする者がやはり厄介だし、怖い。
多少ネタばれだが、この怪談のテーマは、「青梅街道手首ラーメン事件」だ。この事件が起きたのは、ちょうどこの年の冬で、ひとを殺した屋台の店主が、死体の処置に困り、まず手首を切って、それでラーメンの出汁を取った。
その事件が起きたのは、寮の近くで、寮生には夜中に寮を抜け出して、ラーメンを食いに行く者が沢山いた。
報道を観ると、すぐ近くだから、「もしかして俺たちが食っていたのは」と領内が騒然とした。
知らんこととはいえ、人肉を食っていたかもしれん。
調べてみると、寮の前にいた屋台ではなく、ひとつ隣の交差点にいた屋台だった。
これが分かるまでの間、心底より戦慄する日々を送った。
ちなみに、その後、その寮は、予備校から専門学校の所有となり、二十何年かはあったようだ。数年前にその場所に行ってみたが、大きなマンションが建っていた。
だが、その後もそこでは幽霊が出ていたようだ。これが分かるのは、そのマンションが分譲なのに、売り広告が沢山出ていたからだ。たぶん、その後もずっと続いていた。
怖くて住人が出るわけだが、自分が出る時には「幽霊が出る」と言う話はしない。売れなくなるし、値段も下がる。
この時には、さすがトラウマめいた感情があり、入り口から中を覗いたりはしなかったが、「生垣の陰に女が立っている」のは分かった。
幽霊は「感情の波」だから、塀の内側にいて、外からは見えなくとも、音叉が共鳴するように、当方の心が震える。
見なくとも、あるいは見えずとも、「幽霊がいるのが分かる」のは、この感情が共鳴するシステムによる。
「あの世」は合理的に成り立っているから、いずれ構造を理解することも可能になると思う。