日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ノスタルジア食道 「支那蕎麦」

ノスタルジア食道 「支那蕎麦」
 前提として、当方は既に「『支那』は「単なるチャイナの漢字表記で差別意識のない」世代の一員だ。これ以外の意図を持つのは、団塊より前の世代だろう。よって今後は普通に使う。
 チャイナに差別意識が生じぬように、支那にも感じない。
 中国人たちが「CHINAをいう呼び方をしてくれるな」と言っていれば話は別だ。だが、それなら 「CHINESE TAIPEI」もダメだってことになるから「TAIWAN」しか妥当な言葉が無くなるぞ。

 一方、この世には「自分から見て東の海だから東海、自分から見て西の海だから西海。だからこれを世界中で同じように呼べ」と言い張る愚かな民族がいるが、そもそも視点を別のところに移せば、東だの西だのは、まったく意味をなさなくなる。
 「病的自己中」だが、自分たちが世界の支配者になったつもりで、歴史を創作しているから始末が悪い。愚かなので、たぶん、近い将来に消滅する。人類にとっては福音で、ローマ教皇が祝福してくれる。

 最初から脱線したが、ともかく、「支那そば(中華そば)」はノスタルジアを呼び覚ます。
 子どもの頃、母親が盛岡の日赤に入院したが、母は小一から中二くらいまでずっと病院にいた。
 小三くらいの時に、母が「家の前のバス停からバスに乗ってくれば、病院の前で停まるから、それで来なさい」と言うので、月に二度くらい日曜に盛岡に行った。
 片道一時間半の行程で、小三の子どもには長い旅だった。
 日曜の昼頃に出発して、病院に着くと、母は見舞いで貰った果物やケーキを取り置いており、これを当方に食べさせた。
 二時間くらい傍にいて、やはりバスに乗って帰るのだが、帰路のバス路線は日赤前を通る本数が少なく、一時間に一本も無かった。
 そこで、盛岡駅前か、バスセンターまで歩いて行き、そこでバスに乗った。
 当方的には、大通りを歩いて行った方が店が多くて楽しいから、バスセンターの方に行くことが多かった。

 ちなみに、最近までバスセンターは昔のままだったが、今では改築された新しくなっているそうだ。
 ターミナル特有の寂しさがあり、哀しい気分い浸れて良かったのに、何となく残念だ。新幹線のターミナルだった頃の上野も、同じような雰囲気で、「すごく遠くに来た」心持ちになったものだ。

 バスセンターに行く途中で、デパートみたいなビルが二つあり、片方がサンビル。もう片方の名前は忘れた(「第一ビル」?)。
 とりあえず、その称「デパート」の上の階にある食堂で、いつも中華そばを食べていた。
 小三の小どもなので、時々、大人に「お父さんやお母さんとと一緒なの?」と訊かれたが、大体は「今は買い物をしています」と答えれば問題なかった。
 その時の中華そばの味が恋しくて、時々、大衆食堂に行ってみるのだが、なかなか見当たらない。今のラーメンはこってりが多く、これでもかと出汁を入れ込む。

 「こんなんじゃなくて、支那蕎麦が食いたいんだよ!」
 で、あの頃の支那蕎麦・中華そばに、最も似ている味なのは、スーパーのフードコートで出て来る「醤油ラーメン」だ。
 脂がなく、食油を使っているところは、持病有りの者には、むしろ助かるほどだ。ラーメン専門店ほど塩辛くも無い。

 今日はたまたま某スーパーの千円カットに行くことにしたが、この日休日の家人も「一緒に行く」とついて来た。家人が買いものをしている間に、ダンナは一人でフードコートでラーメンを食べた。
 離れたテーブルに独り座り、外を眺めつつ支那蕎麦を食べると、「自分はあの頃と変わっていない」と思うのと同時に、バスセンターで感じたように「随分と遠くに来ている」ような感覚を覚える。

 さらにちなみに、映画も一人でよく観たが、映画館には補導員が見張りに来ており、時々質問される。
 「お父さんたちと一緒なの?」
 一人だと知れると、家に確認されたりと面倒なので、ごく平然と、「お母さんは買い物が終わった後で来ます。開始の時刻がすぐなので、ボクは先に来ました」と答えた。
 この時に、慌てず騒がず平然と振舞うことが大切だ。
 この時に覚えたので、中高生の時に、脱走して映画を観に行く時には、教室では「ちょっと腹具合が悪いので保健室に」と保健室に行き、保健の先生にはちゃんと「下痢気味なので、トイレと教室を行ったり来たりすると思います」と断ってから、ササッと消えた。前もって断ると、不思議と疑がわれないもんだが、もちろん、これにも熟練がいる。

 数十年後には、女性と食事に行く時なども、きちんと家人に断ってから行った。
 冗談だと思うのか、家人は「頑張って」と送り出す。
 えええ。俺はチャンスがあれば、食って食って食いまくるつもりなのに(w)。
 法螺なのか、嘘なのか、冗談なのか境が見えぬように言うには、日々の練習が必要だ。
 ここで金言をひとつ。
 「隠し事がばれぬようにするには、隠し事をしないのが一番よい」
 もちろん、この場合は「表裏ともそう見えるように」という意味だ。

 ま、今の当方は重篤な患者なので、外で何かするどころか、外に行けなくなった。
 かなり脱線した。 

 もう少し年を取ったら、この手のラーメンを食べつつ、気付かぬうちに涙を零しているかもしれん。
 最近、ごく近くに「母が来ている」という感じがある。

 

注記)単なる陰口だけにならぬよう、太字の部分を自動翻訳しておく。

이 세상에는 「자신으로부터 보고 동쪽의 바다이므로 동해, 자신으로부터 보고 서쪽의 바다이기 때문에 서해. 에 옮기면, 동쪽의 서쪽은, 전혀 의미를 하지 않게 된다.

'병적 자기 중'이지만, 자신들이 세계의 지배자가 된 생각으로, 역사를 창작하고 있기 때문에 시말이 나쁘다.