日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「お迎え」への対処

「お迎え」への対処
 死期が近くなると、あの世の者(幽霊)が寄って来る。これには様々な意図があるが、その中で、当人をあの世に誘う務めを負った者がいる。これが「お迎え(案内人・渡し守)」だ。
 多くの人は死の直前でこれを見る。このため、当人がどんなものを見たかは分からない。見ずに亡くなった者もいるだろう。
 だが、幸運な者は死期の到来する半年前、一年前と、かなり前の段階でこの「お迎え」に会う。
 そして、このケースでは、どうやら「交渉の余地がある」ようだ。

 私の遠縁の親戚である金太郎さんのケースが最も分かりよい。
 金太郎さんは末期がんで入院していたが、医師に最後の帰宅を許された。いよいよという状況になって来たので、最期の日々を家族と共に暮らす。そんな状況だ。次に入院すれば、その時には、玄関ではなく裏口から出ることになる。よって残りはあとひと月ふた月ということだ。
 その金太郎さんが、家に独りでいた時のこと。
 金太郎さんは寝床で横になっていたが、玄関で物音がした。
 誰か人が来たのだが、その人は勝手に家に上がり、金太郎さんの寝室までずかずかと入って来た。
 その者の顔を見ると、「紛れもなくこの世の者ではない」形相をしていたそうだ。
 (これは私も会ったので、よく分かる。何とも薄気味悪い形相だから、誰でもひと目で分かる。)
 金太郎さんは、「こいつは俺を連れに来たのだ」と瞬時に悟り、その男に言った。
 「俺はまだ死ぬわけにはいかない。支度があるからもう少し待ってくれ」

 また聞きなのでこの先を忘れていたが、最近思い出した。
 金太郎さんは続けてこう言った。
 「どうか一年だけ待ってくれ。そしたら俺は一緒に行く」
 すると、その男はほんの少し考えたが、何も取らずにそのまま帰って行ったそうだ。
 そして、その言葉の通り、金太郎さんはぴったり一年後に亡くなった。

 末期がんの終盤の時期から、一年死期が遠ざかったのは、まさに贈り物だ。
 ずっと考えていたが、この時の金太郎さんの選択はこれひとつしかなかっただろうと思う。
 「あと十年」「三年」だと、たぶん、受け入れてはくれず、そのまま連れ去られたと思う。
 現実に繋がっており、リアリティのある期間が「一年」だ。
 「三か月」だと現状とほとんど変わらぬから、一年はよい頃合いだ。

 金太郎さんは咄嗟に正解を口に出来たが、これはなかなか難しい。「死にたくない」から、現実離れした欲を語ってしまう。
 でも、人は永遠には生きられぬので、状況に応じ「頃合い」を見切ることも大切だ。
 あの世のお迎えは、見るも悍ましい佇まいをしているから、まともに対応するのは難しい。日頃から、落語家のように「壁に向かって練習する」必要があるかもしれん。
 「ちょっと待ってくれ。俺はまだ死ねんから、あと少し準備の時間が欲しい。俺はこういう持病があるから多くは望まんが、※※ほど待ってくれ」
 上手く行けば、死期を先延ばしに出来るかもしれんが、この場合、次の延長は無い。

 私のケースはあまり参考にはならない。
 幾度も書いたので省略するが、夕食後に病院のベッドに座っていた時のことだ。
 二人組が入り口から入って私のベッドの前に立った。
 ひと目で「この世の者ではない」と分かる。顔が青黒いし、体の周りの空間が少し歪んでいた。
 二人は手を伸ばして、私を捕まえようとしたが、何か透明なアクリル板のような壁に当たり、ベッドの枠内には入って来られなかった。
 今考えると、「でっかい女」「巫女着の女」のような仲間たちが、予防線を張ってくれていたような気がする。
 本当の危機の時に、仲間は「必ず傍にいるが手は出さぬ」のが普通なので、これは単なる思い込みか願望かもしれん。
 また、透明な板はベッドの横には無かったから、あの二人組にそれを気付かれたらお終いだった。
 この時の私はお願いなどはせず、「てめー。こっちに来るな。ぶっ殺すぞ」と叫んだが、後で考えるとナンセンスな話だ。
 ぶっ殺すも何も、相手はとっくの昔に死んでいる。
 ま、次に来たら、その時は疑いなくアウトだ。
 これがあるから、身近なところに幽霊が寄って来ているかどうかには、細心の注意を払っている。

 今朝、娘を送るべく駐車場に向かうと、途中で「蜘蛛の糸」が顔にかかった。周囲には家も樹木も無い、いわゆるオープンエアーの状態だから、「蜘蛛が巣を張れない」場所だ。
 これは典型的な「寄り憑き」症状のひとつだから、また何者かの目に留まったということ。
 一昨年から昨年にかけて稲荷眷属の障りを得た時に、八か月間苦しんだが、その時の置き土産で、寄り憑きがあった時の体感症状が分かるようになった。自分だけでなく、他人への寄り憑きも、見て取れるようになって来ている。
 もう写真を撮って点検する必要が無くなって来ているらしい。

 脱線したが、要は「お迎えが来たら・来ても、けして慌てぬこと」が一番だ。
 死期が見えて来たら、早めに来てくれる方が幸運だ。対策を立てられる。
 交渉して、死期を先延ばしにして貰うと良い。その後の時間はそれまでにない貴重なものになる。
 私の 症例?では期限が無いのだが、まだこっちの仕組みが分からない。金太郎さんの交渉術は確実に使えるが、自分の行末を見切っていなければ、腹は括れぬと思う。
 今回は保存版の情報だ。実践できればすぐに死なずに済む。