日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「希少小判のリスク」

◎古貨幣迷宮事件簿 「希少小判のリスク」
 画像の品は天保小判で、昔、一般の人から買い取った品だ。
 埼玉は昔から米が取れたから、こういうお宝がまだ蔵の中にたくさん眠っている。
 この時には、他に慶長小判があり、二枚ひと組で持ち込まれた。「お祖母さんの形見分け」だと言う。
 天保小判は、所謂「大衆小判」で珍しいものではないが、慶長の方は百万級だ。慶長の小判の鑑定でしくじるわけには行かない。
 偽物も多い銭種なので、三日ほど預かり、知人とも協議して買い取った。専らこれは慶長小判の方の話だ。

 天保小判に目が行ったのは、それから数か月ほど経ってからのことだ。何気なく背面の印を見ると、「馬」「神」とある。
 これは所謂、「七福小判」とされる組み合わせだった。
 「しまった。コイツは最も贋作の多い銭種だ」
 戦後の一時期、小判のレプリカが大量に作られたのだが、この時に模造されたのが、「馬神」「筋神」という七福小判の座人印・棟梁印の組み合わせだった。
 元文や文政小判でも少ないが、天保小判の「馬神」は希少品だ。コレクター垂涎の品だろう。
 欲に付け込んで、贋作を希少品に合わせる。

 かつて、茨城県の医師宅に呼ばれて、大判小判の鑑定をしたことがあったが、全部が偽物で、とりわけ小判類は総て「馬神」だったことがある。この時に何故か金融機関の職員が同席していたが、あれは「資産価値を鑑定してもらい、それを担保に借金をする」というのが主人の目論見だったのだろう。だが、大判などは、いいずれも0.1グラム以上重かったので、鑑定するまでも無く偽物だ。
 金座では、大量に大判小判を作ったから、量目については厳格で、コンマ下まで合わせてある。摩耗により減ることはあるが、多くなることはない。偽物の多くは、0.1~0.3グラムほど重いことが殆どだ。

 他人を借金の出汁に使おうなどとふざけた話で、かつその品も偽物だった。結果的に詐欺の片棒を担がされそうになった。どうせその医院は倒産しただろう。

 その経験があり、小判の「馬神」には警戒していたのだが、何せ慶長小判がある。おまけにその慶長小判も背印の数が少ない希少品だった。天保小判とは格が違う。

 よって、買取依頼を申し込まれた時には、慶長小判に集中していた。

 おまけにこの天保小判には手触りに問題があった。何十枚、何百枚と触っていると、指の感触が本物の特徴を覚える。
 この天保小判の手触りには、「一枚板を加工したようなのっぺり感」があった。

 天保であれば、叩き出しではなく(確か)、ローラーで圧延したものをハサミで切った筈だから、平坦になるのだが、俵目が何となく浅い。一個一個打ったはずなのに一様の深さだ。
 これも贋作の手法の「個別に打つのではなく、全体の型印を一度に押す」という手法に通じる。ちなみに、これは現物の型を見せてもらったことがある。

 「さては足元がお留守だったか」と頭を抱えた。
 数年後に、ある業者さんにこれを見せ、「こういうことがあった」という話をすると、業者は「それを是非譲って欲しい」という。
 「え。幾つか疑問点がありますよ」と伝えたが、「大丈夫ですよ。本物です」と言う。
 その割には、想定価格よりも安い値段だったから、そこで「ははあん。買い手がいるのだな」と思った。
 問題が生じたら、その時は私のせいにする。この世界にはこういう人が良く居る。
 ま、希少品だから、入手することでコレクターは舞い上がる。
 何せ、真贋を見慣れた者でも区別がつかぬ品だから、普通のコレクターは気付かない。自分の持ち物は本物だと信じ込む。
 その意味では、コインの価値などファンタジー(夢物語)に過ぎない。

 もう一度、「これの私の見解は、真贋不明ですよ」と念を押したが、「結構です」と言う。そこでその業者にこれを売却した。相手はプロだ。
 天保の「馬神」としては、かなり安いが、買い取り価格の二倍だったから在庫処分とっしては充分だ。この世は持ちつ持たれつで、「相手にも利益が生じるように」と配慮すれば、「百戦危うからず」の環境が生じる。コレクターはある意味バカなので、自分が得をすることだけを考える。結果的には元の木阿弥になることが多い。

 この品の教訓は、「希少性に気を囚われ過ぎるな」ということ。小判の「馬神」は全国各地で何十枚となく見せて貰ったが、「本物かもしれぬ」と思ったのは、この一枚だけだ。
 今、「これを鑑定してくれ」と言われれば、さて果たして何と答えようか。たぶん、業者さんの見解とは違う。

 今、改めて画像を見ると、きちんと本物に見える。だが、指先の違和感もまた記憶に残っている。「輪側から表面にかけてゆっくりと指でなぞる」のが、指先鑑定法だが、製造工程のちょっとした手順の違いで手触りが変わって来る。

 もっとも分かりよいのが穴銭で、輪側の鑢(線条痕)をなぞるだけで、それを削った機械装置が分かる。これを悟られるのが嫌なのと、技術的に石膏型や金属型はバリがあまり出ぬので、処理をしない贋作も多い。だが、何十万枚も作る貨幣で、輪側処理をしないケースは有りえぬから、処理をしないことでそれが「作品」だと分かる。

 ちなみに、偽物は画像を撮影し、それを重ねてみると、打極印がピッタリ同じ位置になる。これは偽物の原極印が「片面全体でひとつ」だからで、現実には個別に打つ。だから絶対に同じ位置にはならない。このことだけで贋作は明らかだ。

 極印の位置だけで「作り物」だと分かる。
 無料鑑定窓口を開いていた時には、それこそ全国から山ほど照会が来たし、毎週、段ボールで古銭が送られて来た。

 

 さて「何か書いて教えて欲しい」と言う依頼が複数あったので、このスレッドを復活させることにした。過去の画像などから、思い出話を記す程度なので、チラ読みに留め、本気にしないこと。証拠や根拠にはならず、ただの感想であることは言うまでもない。

 入手する時は、自分が良かれと思って買う。それならコレクションのケツは自分で拭くものだ。

 

注記)一発殴り書きで推敲や校正をしない。眼疾があるのと、体調により長く座っていられぬためだ。不首尾はあると思うが、あくまで日々の雑感だ。