日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎あれこれ謎が解ける

あれこれ謎が解ける
 二十九日にB医大に行くと、ハンサムな担当医が「今日の内に手術しましょう」と言う。教授がこの日は所沢の眼科病院で執刀しているが、午後のスケジュールが空いているので、午後すぐなら入るそうだ。
 そこで、全身の検査を受けて、午前中にB大を出て所沢に行った。
 所沢の専門医院では、また最初から検査を受けて、すぐに手術。控室が「厨房」みたいな雑然としたところだったから、少しビビった。
 その後手術室に入ると、まあ、そこは普通の手術室。
 あれよあれよと進んで行く。
 「手術はほぼ一時間で終わる」と聞いたが、当方の場合は三時間以上かかり、終わったのが午後六時。

 途中で、「痛みがあれば麻酔を加えますので、すぐに言って下さい」と言われたが、ここで当方はあることを想いだした。
 「そう言えば、昨日、駐車場で蜘蛛の糸が顔に掛かったっけな」
 あれは寄り憑きで間違いないが、この事態を予測して寄ってきたかもしれん。
 何せ当方は、もう「死んでいてもおかしくない者」だ。
 あるいは「死んでいる筈の者」と言った方が良いかもしれん。
 そこで、施術中はかなり痛かったが、麻酔を増加されぬようにした。手術中に死ぬ多くのケースは麻酔のショック反応だ。・
 イテテテ。
 だが、それ以上に嫌だったのは、施術が全部見える事だ。
 水晶体のジェルを全取り換えし、かつ、ついでに白内障の治療でレンズを取り換えるという。
 掃除機みたいな器具が眼の中に入って来て、血だまりと一緒に周囲の組織を吸って行く。 途中で血管を傷つけるから、ぶわっと出血するが、それも掃除機で吸う。
 全部が眼の内部での話だから、とにかく気持ち悪い。

 手術が終わったのが夕方だが、その時に初めて料金の話が初めて出た。エレー高いな。普通の保険適用だけで、障害者控除も補助も計算されていない。おまけに急だったから高額医療費補助証も持っていなかった。加えて二件の手術だ。
 これを「現金でその日に払え」と言う。
 初診でB大に行ったから、手術するにせよ、「ひと月は後」だと思っていたので、現金など持っているわけがない。
 おまけに週末だし、翌日の土曜も朝から診察で、その後がいつもの病院に夕方まで居る。
 「支払いは月曜にして下さい。今日はもう夕方だし、明日は朝一番だし、オマケにその後には透析なんで」
 結構な追加料金もあり(保険適用外)、カードでちょっと下ろすという金額ではなかった。
 ま、これは障害者だし、色々な既往症があるから仕方がない。
 障害のある者は、普通の人より、結局は負担する費用が大きくなる。
 でも、月曜日の前日は日曜で、金は動かせない。
 こんなに急だとお金のやりくりが必要だ。

 ちなみに、病気で集中治療室に入ると似たようなことが起きる。生命維持装置の周辺には、保険適用外の医療が結構ある。
 国の医療保険が適用外で、かつ民間の医療保険でも適用外だから、もしこれを処置して貰うと百万では到底収まらない。状況によっては四百万五百万と費用がかさむ。
 事前に病院側から「処置しますか?」とだけ訊かれるが、それは「費用がもろにかかりますよ」という意味だ。
 生命保険には「国の保険の適用にならない分もカバーします」と書いてあるはずだが、契約書の条件項目が様々書いてあるはずだ。
 その症例に漏れ落ちる医療行為が沢山あるから要注意だ。
 家族はその人に生きて欲しいから、「やって下さい」と答える人もいる。

(当方の場合、「子孫に美田も借金も残さず」でいようと思うので、「延命措置は不要」と紙に書いてある。もう十分に生きた。)


 家人の同級生で、米国の心臓外科医になった人がいたが、交通事故に遭い、意識不明になったので、家族は集中治療室で生命維持装置の処置をしてもらった。

 やはり一家の主には生きていて欲しい。

 ところが、その費用が膨大で、加えて民間の医療保険でも対象外の治療だった。このため、ラスベガスに二軒持っていた家を売り払ったそうだ。その人は、集中治療室内でコロナを発症し、結局は亡くなった。

 さて、B大ではもの凄い患者の数で、さすがは国立の医大だ。施設もでかく、診療科を移るのにやたら歩かされる。
 眼科の前では、「予約してあったのに、三時間も待たされている。これじゃあ、予約の意味がねえだろ」と切れている人がいた。
 だが、事務のオバサンは「眼科はどこもそうです」とすましていた。
 ま、叫んでいた人は、眼科に通ったことがなかった人だったのだろう。眼科の待ち時間が長いのは全国共通だ。

 視力検査の技師のお姉ちゃんが若くてかわいかったので、冗談を言った。
 「子どもの頃、昔話を読んだが、字面を追っていただけで意味が分かっていなかった。今日、待合室に座っていたら、周りがほとんどヨレヨレのジジイとババアだ。そこで『エレー年寄りたちだ。年は取りたくないもんだな』と思った。ところが、その患者が名前と生年月日を言うのを聞いたら、なんと私より三つ四つ若い。ということは、私はあのボロボロのジジババよりも年を取っているかもしれん。怖ろしい。自分でも気付かぬうちに耄碌爺になっていた。そこで初めて、『浦島太郎の本当の気持ち』が実感として分かったんだよ」。
 ここは、実はお姉ちゃんとしては「受けてはいけない与太話」の類なのだが、検査技師の姉ちゃんはまだ若いようで、一緒に笑っていた。でも、可愛いからOK。

 

 この先は、翌日(土曜日)の話。

 手術翌日の検診で朝から眼科専門医のところに行った。

 処方箋が出たので、所沢の駅前の薬局に行くと、「一種類がない」と言う。今は薬剤が品薄だし、今日は月末日で在庫切れです」と言われた。

 ま、地元に帰ってくれば何とかなるだろうと狭山まで戻って来た。

 薬局に寄ると、ここでも「ありません」と言われた。

 いつもの掛かり付けの病院への道筋で、七八軒の薬局に寄ったが、「珍しい薬なのでありません」と言う。

 最後の薬剤師が丁寧に、あちこち電話をしてくれ、市内の薬局に確認してくれたのだが、「ない」との答えだ。

 「こりゃ、病院の最寄りの薬局に戻るのが早そうですよ」

 仕方なく、また電車に乗り所沢に戻った、

 病院までは四百㍍ほどだが、タクシーに乗る距離でもないから、歩いて行った。

 すると、やはりそこにはあった。

 「これって、病院が薬局を指定しているのと同じことだな」

 独占禁止法にふれそうな措置だ。

 結局、かかりつけの病院に着いたのが二時頃だ。

 それから治療を始めると、六時を超えてしまうので、今回は時間を短くして貰った。

 なんだか、五キロ以上は歩いたのではないか。

 このため、エラく疲れた。

 

 行ったり来たりを繰り返したが、途中では、罪人のように背中を突かれているようで悲しくなった。 

 ま、かかりつけの病院に戻り、顔馴染みの人たちと、昨日今日のことをギャースカ話したら、幾らか気分が楽になった。

 やはり、人のつながりは心を安定させるのに必要だと思った。

 誰も一人では生きていないし、生きられない。

 

 追記)左目は塞がっているし、右眼もよく見えぬので、完全ブラインドタッチ。表現に不首尾はあると思います。