日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信 R061218「終生後」の友

霊界通信 R061218 「終生後」の友
 これは書かぬつもりだったが、参考になる人もいると思い直した。

従前は「私と同じ悩みを抱える人」は五人程度だったが、今は十五人から二十人くらいが常時ブログのあの世記事を見ている。
 三年前の稲荷眷属との死闘で得たものは、「音と触感のものさし」が鋭敏になったことだ。(このブログにも同時進行的に記したが、当時はスマホが「(お前に)憑いた。取り憑いた」と老人の声で叫び出す事態が現実に起きていた。)
 幽霊がたかって来た時の「蜘蛛の糸」のような触感や、カサコソという音(声)を、以後は拾いやすくなった。
 それと同時に視覚をあまり重視しなくなった。「たまたまそう見えた」ケースが割と多く、先入観で捉えてしまう嫌いがある。その点、音や触感の方が幾らかましだ。

 先日、名栗を訪れたが、五十回以上訪れている同じ場所で、初めて「声」を聞いた。

 ここでは過去にガラス窓に一度だけ人影が映ったことがあるくらいで、何も起きぬ場所だったが、この時ばかりは別。
 周囲から「カヤカヤ」という音が聞こえたので、とりあえず近くにあったガラス窓に自分を映して撮影した。
 その時聞こえていたのは、二十人くらいが銘々で何かを話している音だったが、画像を見てなるほどと納得した。
 だが、数年前とは捉え方が違うので、画像で説明が出来ない。
 肩や背中の触感について伝えることがが出来ないからだ。
 一か所だけ「見られている」と思う箇所について印をつけたが、肩の後ろの方がもっと重い。

 だが、すぐに自分には何も問題が無いと分かった。
 最初の画像を遠目から見ると、十㍍後ろの階段のところに、着物姿の女児が立っていた。
 最近はいつも私の傍にいるようで、概ね画像のどこかにこの子が入る。完全に味方だということが分かっているので、この子が変わらず傍にいるのであれば、何も起きないという意味だ。
 ちなみに、幽霊は「光の中にある影」なので、よく見ようと拡大すると逆に見えなくなる。背景の物が見えてしまうからで、手前の光を観るには、眼を離した方が認識しやすい。
 映画「プレデター」の宇宙人のように、基本は見えぬが断片的な影が見える程度だが、見慣れると分かるようになる。

 この子は小鹿野のあの旅館に居たのではなく、元々、私の傍にいたのではないかと思う。御堂観音で声を掛けてくれた時のように、危機的状況を私自身では解決できぬ時に助言してくれるようだ。

 後半は帰路の高麗神社でのもの。
 あまり鮮明には写っていないが、この時期は割合、「あの世の者」を認識しやすい。ここで「幽霊」と言わずに「あの世の者」と記すのは、「黒いひと」のように正体の分からぬ者も現れるからだ。
 ま、この時期であれば普通で一月から二月の頭までは続く。

 家人が前で手を合わせている時、私はガラス窓に家人の影がふたつ映っていることに気付いていた。
 その時、考えていたのは「どっちが女房なんだろう?」ということだ。
 すぐに撮影したが、二人目の方は殆ど写っていなかった。
 その代わり、家人の背後から頭に手を当てている子ども(か女)らしき姿が見て取れる。
 家人は小学校で働いているので、たぶん、子どもの方だと思う。小学校には、実際の児童の数よりも「前は子どもだった者」がいる。
 もちろん、私の傍にいる「お稚児さま」とは意味が違う。

 ま、何もしなくてよい程度だが、最近「腰が痛い」と言っていたことをこれで思い出した。
 家人について、時々、「コイツは強運だ」と思うことがあるが、今回もそう思った。何せダンナが私だから、本人が自覚する前にささっときれいに出来る。

 といっても、ひとは誰でも、常時、何者かを連れ歩いている。
 私はそれが凄く多いが、最近の主義は「祓わず、味方につける」というものだ。

 冒頭の表現は「終生の友」が普通だが、「お稚児さま」は、死んだ後も関わるべき筋なので、「人生が終わった後の仲間」になる。
 うまく対応すると、また死期を半年くらい遅らせることが出来るかもしれん。実際、春よりも体調が良くなっている。