日刊早坂ノボル新聞

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第3話(怪異譚) 化け物屋敷の怪   (西山村:現雫石町の伝説)

第3話 化け物屋敷の怪   (西山村:雫石町の伝説)

 西山村の上長山に古びた藁葺き屋根の家があり、そのすぐ後ろの川べりには何百年も経たと見える河原柳が立っていた。雨後のタ日には、緑の小枝がやんわりと座敷の辺りにしだれ掛かっている。その柳の根元は朽ちて、幹の中程には狐でも巣食っているような洞穴がある。ここには、つい何年か前まで注連(しめ)縄に御幣を供えてあったものだ。この家は新田竃(かまど)という鬱陶しい家構えで、昔から化物屋敷だと言い伝えられてきた。この話は、この家が新築当時に実際に起こった事だと伝えられている。

今は昔。或る夜の事、家内のものは皆寝静まっていた。季節は真夏で、あまりの蒸し暑さに親父は普段着のまま居間にゴロリと寝転んでいた。蚊に攻め立てられ寝苦しくもあったが、日中の暑さの中、忙しく働いた疲れもあり、いつの間にか夢路に引き入れられていた。
しかし、ほんの少しまどろんだかと思う程度で、親父はすぐに眼を醒ました。
夢うつつの中、「コトリ、コトリ」という音が聞こえたような気がしたからである。
「鼠の野郎だな」
舌打ちし、再び眼を閉じる。
すると再び「コトリ」という音が、今度ははっきりと聞こえた。とても鼠が走り回る音ではなく、異様な響きである。親父は妙な胸騒ぎがした。それと同時に、頭は冴えて睡けがすっかり失せてしまった。
どうやらその昔は座敷の方から聞こえてくる。
暗闇に眼を凝らして、音のする方に注意深く視線を注いだ。今度は自らの耳の神経を研ぎ澄まし、何の音かを確かめようとした。
すると、再び「コトリ」という音が響き、それに続きすうっと障子が開けられたかと思うと、妙に湿った、生暖かい風が吹き込んできた。
「盗人の野郎か」
親父は懸命に半身を起こし、身構える。
座敷の辺りでは、今度ははっきりと、畳を踏んで歩く音や衣擦れの音が響いてきた。
 その音は次第に、座敷と常居を隔てる襖に近寄ってきたが、襖の陰まで来るとそこで立ち止まった。
「誰だ。こらあっ!」
 恐怖心に駆られた親父が大声で怒鳴りつけると、襖の陰からは「ヒヒヒ」という女の不気味な笑い声が漏れ聞こえてくる。
 ぞぞっと親父の全身が震えると同時に、すべての怪しい物音は止んだ。
 翌朝早くに、座敷の中から家の周囲に至るまで詳しく調べたのであるが、怪しいものは何ひとつ見つからなかった。
 しかし、夜になるとまた座敷から同じような不気味な物音が聞こえてくる。これが幾日も続いたので、今度は近在の者にも頼み、見張ってみた。その妖女は他家の人々の前にも同じように現れたので、皆で追いかけてみたのだが、しかし座敷の床の間の隙間から消えてしまう。
 この後、「あれは化け物の出る屋敷だ」という噂は、瞬く間に世間に広まった。

 それから何ヶ月か経ち、この話を聞きつけた和野部落のある人がこの屋敷を訪れた。この男は元は山伏で、自分の祈祷で妖怪を追い払ってやろうというのである。
 新築間もない家に化け物が出て、家人はほとほと困り果てていたので、一も二もない。さっそく男を家に迎え入れた。
 男は神仏に妖魔退散の祈りを捧げた上で、その座敷に泊まって確かめることとし、座敷の真ん中に敷かれた布団に入った。
 もちろん、いずれ妖怪が出るだろうから、男が眠りにつくことはない。布団の中で眼を閉じてはいるが、男の頭は冴えている。
 夜は次第に更けてゆく。
 突然、「コトリ」という音が響き、続いて「ススウ」という衣擦れの音が聞こえた。静寂そのものであった座敷の中に、何ともいえぬ妖気が漂う。
 闇の中、眼を凝らして見ると、床の間の辺りに、朦朧としてはいるが、紛れもなく人影が見える。
 黒髪を長く垂らした、年の頃は三十歳くらいの女のようである。闇の中で、顔だけがぼんやりと白く浮かんでいた。
 男は、あまりの恐ろしさに、布団の中にもぐりこんだ。
 しかし、その布団のすぐ傍で「ヒヒ」という凄まじい笑い声が響く。男の心臓は早鐘のように、鼓動を打っている。
 30分ほど経つと、再び「コトリ」という音がする。それと同時に、血生臭い風が肩の辺りから流れ込んでくるような気がした。
 すると、布団の中で何かが動いたかと思うと、いきなり男の睾丸が掴みあげられた。
 命あっての物種である。男は懸命に足を跳ね上げ、相手を蹴ろうとしたが、足は何もない空中を空しく蹴りつけるだけである。
 しばらく抵抗しているうちに、股間を握る手の感触は消え失せていた。男は体中汗でびっしょりと濡れていた。

 翌朝、その山伏の男は、真っ青な顔で昨夜起こったことを家人に告げ、朝飯も食わずにそそくさとこの家を立ち去った。
 しかし、その日のうちに、西根の道端で修験者の行き倒れがあったらしいという噂が届いた。家人が確かめてみると、紛れもなく妖怪退治に家を訪れた、あの山伏の男である。
 いよいよ縮み上がった家の者は、飯綱(いづな)使いを呼び、因縁を質してみると、その女は「家の後ろにある柳の木のたたりである」と答えた。
 家の建てられた土地は元々田圃であった。これまで数百年もの間、田圃端で明るい陽光を浴び、存分に生き延びてきた柳の木が、この家が建てられたため、陽光が遮られ、かつ滋養溢れる緑の田圃も奪われてしまった。このため、柳の精が魔性の物となって、祟りを及ぼしていると言うのであった。
 そこで、その家の者は、柳の古木を飾り、ご供物を供えて、罪の許しを請うた。
 その後は、何事も起こらなかったということである。
 はい。どんとはれ。

注)飯綱(いづな)使い:中世以降、荼枳尼天(だきにてん)を祭り、管狐(くだぎつね)を使って魔術を行ったという妖術使いのこと。

<ひと口コメント>
年月を経た動植物が妖怪に変化(へんげ)して、祟りを及ぼすという話は各地にありますが、これもその1つです。生き物には敬意を払いましょうね。
睾丸を掴みあげられるってのが、痛みをリアルに感じさせます。
おどろおどろしい怪異現象が、祈祷によりあっさりと治まってしまうのも、実話ならではです。

岩手県西山村:現雫石町の伝説)
出典:岩手県教育会岩手郡部会『岩手郡誌』(1941)より